発達障害当事者会(自助会)は果たして今の貴方に必要なのか
主催していて、また各地の自助会さんに参加していてオレが思うことは多々ある。
まずは当たり前かもしれないが、ルールを守ること。
自助会によって細かいルールは異なるが、共通するものとして批判禁止、政治や宗教の話題を禁止にしているところがほとんどかなと思われる。
そういったことはやはり守るべき。
あとは自分が無理をしないこと、自己理解を意識すること(自分で自分のことに気付く)、他の参加者の方を認める、すぐに悩みを解決しようとしない、などもたいていの当事者会で共通するだろう。
悩み等に関しては、すぐに解決したら、1回の参加で障害が改善されるのなら、恐らくその方に自助会は必要無い。
勿論すぐに解決、解消されたならそれで全然良い。
1回の参加で以後来なくなる方は、オレはその方が自分を自己解決させたんだなと思うようにしている。
勿論主催者、スタッフの対応に問題があると感じたから来なくなるって人もいるかもしれないが。
いずれにせよ、1回参加してみて違うなって思ったら、こういう場所なら継続参加はしなくても別に良いかなって思ったら、無理はしなくて良いとオレは思っている。
また、オレが今主催している自助会では、ルールさえ守って頂ければ原則どなたでも受け入れるスタンスで、出入禁止者をできれば出したくないとは個人的に思っている。
余程ひどい参加者の方がいらした場合は、一旦以後の対応方法について宿題として持ち帰り、主催者、スタッフをされているオレが尊敬する先輩方に逐一相談をし、最善の対応をさせて頂くつもりである。
オレはまだまだ主催者としてのスキルは低いから、意にそぐわない対応を今後もしてしまうかもしれない。
それは自分でわかっている。
だからこそ頼れる先輩たちを頼り、相談しながら慎重に主催していきたいというのはある。
あとはやはり、障害者同士「相性」というものが必ずある。
どうしてもその会で馬が合わない人がいる場合、以後参加しないという自己防衛も自分の身を守る1つの手段かもしれないということ。
世の中仕事でもなんでもそう。
自分と合わない人はどこにでもいる。
オレだってそれで苦しんで一般雇用でも障害者雇用でも挫折した。
その分経験が重なり対応力は高まったとは思うのだが、それでもオレは発達障害者だ。
障害ゆえにどうしても対応には限界がある。
だから障害名がついている。
それは他の参加者の人もそうだったりする。
あと自助会というのはそもそも、仕事の場ではない。
だから嫌なら行かなければ良い、という考え方も出来る。
どんな人が来るかわからないのが自助会。
貴方にとって馬が合わない人だって、苦しんでいることが日常的にたくさんあるのかもしれない。
そこを互いに認め合うことが出来るのが理想ではある。
しかしどうしてもそれが「絶対に無理」だよというのならば、自助会は多分貴方には合っていない。
もしくは逆に貴方には自助会が今は必要無い、または今は自助会に行くべきではない時期なのかもしれない。
相手を認めることって難しいな、なんでこんなに自分はあの人を批判してしまうんだろう。
そう自問自答したとき、自分で気付いたとき、恐らくそこからが成長の始まりだ。
苦しんだときは相談しよう、助けを求めよう。
他者批判からそのスタンスに変われたら、一歩前進した証。
どうすればそのスタンスになれるか、それは相談することを繰り返すこと。
オレはそう強く思っている。