オレ流クソ主観素人お笑い論9「あくまでもネタ」
さて、お見送り芸人しんいちがR-1グランプリ2022で優勝したが、その芸風やネタが「人を傷つける笑いだ」と早速批判をする人、13失点をネタにされて怒りの感情をあらわにしている人が出てきている。
これについてオレの考えを綴っておく。
まあお笑いってのはそもそも、
100人いる人を全員笑わせることなど不可能なのだ。
芸人さんは皆、それをわかった上でネタを作っているだろう。
オレだってそう。
少なくともオレはネタを書く場合、100人から笑いを頂けるネタを書くくらいなら辞めた方がマシだと思っているし、自分のやりたい笑いを常に優先してネタを作ってきた。
やりたい笑いがあるのなら、それをやらなきゃ損なのです。
お見送り芸人しんいちの場合は、歌にのせてあるあるネタやあった出来事をネタにしてそれを羅列する芸風である。
そういう羅列型の芸風ってのは、1つくらいは「ちょっとこれはわからないな」、「これネタにしちゃうか?」ってのが必ずあるはず。
ネタ作る側もそれはわかって作っている。
オレもお見送り芸人しんいちのネタの中で、13失点の件についてはスポーツがあまり詳しくないからわからないなと思って聞いていた。
しかしネタに点数つける視聴者、無名のクセにコンビ解散してツイッターで告知してる芸人、M-1の予選でドンズベリする小学生アマチュア漫才コンビのくだりはかなり共感した。
特にオレは芸人のネタに点数をつけさせてもらうことがあるから、あ、オレだって思ったし、点数つけることについては前にも綴ったように、お笑いも1つの作品だから点数をつけられるものだとオレは思っているので点数をつけることには賛成している。
ただ、だからといって「なんだよ点数つける人をバカにしやがって」とか思ったりは全くしないしむしろネタにされてもうたと思って爆笑した。
13失点の件についてもそう。
あくまでも「ネタ」なのだ。
あくまでもそういう「芸風」なのだ。
お笑いを見る側にもそういうベクトルが無ければならない。
じゃないといちいち芸風やネタに怒りの感情を剥き出しにしてては、溜まっていくのはストレスだけ。
あくまでもネタなんだ、そういう芸風なんだと許すことができればおのずと怒る必要は無くなる。
思考回路を変えてみよう。
それが難しいならお笑いは見ないようにするのも1つのストレスが溜まらないようにする手段。
M-1グランプリ2021のもものネタも同じ。
人を傷つけるつもりでネタを作ってる芸人などいない。
今現在は人を傷つけない笑いというのが好きな人もいる。
勿論傷つかない、傷つけないに越したことはない。
ただオレ個人的に思うのが、人を傷つけない笑いを芸人に望むなら、「人を傷つけないお笑い1グランプリ」を自分で主催して芸人さん集めて自分で大会を開いてください、と思う。
審査基準を「とにかく面白い人を傷つけない笑い」とかにしてね。
やりたいことや望むことがあるなら他者に求めるのではなく、ご自分が行動されてください。
何で人が傷つくか、何で人が共感するか、それはその人の育ってきた環境や培ってきた知識などによって形成された価値観次第なのだ。
人を傷つけない笑いで有名なぺこぱのネタですら、2019のM-1のネタを例にあげるなら、怒るタクシー運転士さんもいたかもしれないし、怒るおじいさんもいたかもしれない。
そんなのわからないじゃんって話。
それをネタにしている以上傷つく人は傷つくし、共感する人は共感する。
人を絶対に誰も傷つけないようにネタを作らなければならないなら、芸人は面白いネタを作れなくなってしまう。
そこはわかってあげてほしい。
あくまでもネタ。
そう思えることが出来たら、腹も立たないよ。
今一度落ち着きましょう。
以上。