\\アニメーションの世界vol.9高畑勲監督//
朝日新聞連載いちいひさいち原作4コマ漫画が、1999年に"ホーホケキョとなりの山田くん"として映画化されました。
挿入歌で使用されている〜Que Sera, Seraケセラセラ〜は、元々は1956年公開のヒッチコック監督のアメリカ映画"知りすぎていた男"の主題歌ですが、高畑監督はこんな風に訳しています。
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恋をして彼にわたしはたずねた
来る日も来る日も虹の色ね
ケ・セラ・セラ なるようになる
未来はみえない お楽しみ
ケ・セラ・セラ なるようになる
未来はみえない お楽しみ
今では子供がわたしにたずねる
なるかな かっこよく お金持ちに
ケ・セラ・セラ なるようになる
未来はみえない お楽しみ
ケ・セラ・セラ なるようになる
未来はみえない お楽しみ
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手にしていても不安になるし、手にしていなくても不安になるし、だけどそんなんゆうても未来は見えないし、そんな見えなさ加減が実はお楽しみなんじゃないの?って言っています。
ファンタジーと現実はそれぞれが例えるとA面とB面で、現実を通してでなければファンタジーは創られないし、ファンタジーを通して現実を知ることも可能だし、どっちがA面でどっちがB面かはわからないけどそれぞれが対(つい)であり背中合わせでバランスを取り合っていて、
高畑勲監督と宮崎駿監督は、そんなふうに真逆の表現をジブリを通してそれぞれがそれぞれに大切なんだって事を教えてくれているなと思います。
映画のワンシーンでオトンのたかしとオカンのまつ子がダンスをするシーンがあって、3頭身のご夫婦がうわっ、この動きを表現できちゃうんだって、それは単なるポーズではなく動きの中での軸のある振る舞い方をしていて、そのクオリティの高さには驚愕です。
そう考えると、実写版では出演者の動きの能力に依存せざるおえない表現がアニメーションでは出来てしまう魅力を感じつつも、作り手が如何に本質を捉えていないと表現できない世界に挑戦していることを知ります。作画17万枚という世界がどれほどか...凄いの一言しかありません。
しかしこの〜Que Sera, Seraケセラセラ〜が頭でループしていると、文章書いていても無になるくらい不思議なチカラがある曲です🤣🧚🏻♀️🌟🙏💕
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