\\vol.4〜Dr.スランプアラレちゃん〜//
鳥山明監督の漫画"Dr.スランプ"を原作とした『Dr.スランプ アラレちゃん』は1981年4月から5年間に渡り放送されたテレビアニメーションです。
舞台となるペンギン村は、鳥山監督曰く「アホしかいない村」で、アンドロイドであるアラレちゃんを脇に置いたとしても常識ぶっちぎりな事ばかりのアホの楽園。
あまりの不条理さに村の外から来た人は愕然とする場合が多いのですが、アホだらけゆえに誰彼構わず受け入れてしまう宇宙スケールの懐の広さもあって、なので無茶苦茶なんだけれども何だかんだ結果的にペンギン村を愛してやまない人が多いのであります。
例えば、そもそもペンギン村の太陽は、目と眉毛と口があり、常に陽気な表情をしていて、喋ったり、遅刻をしたり、太陽の務めをサボったこともあったり、
また、太陽系外惑星人でニコチャン星人というのもペンギン村にはいて、ニコチャン星人は顔から手足が生えていて、頭がお尻で、触角が鼻、足の裏が耳という構造。
こんな感じでキャラクターや村の常識などあらゆる事がぶっちぎりぶっ飛びという世界観は、正にアホの楽園なのです。
翻って、近年"多様性(ダイバーシティ)"という言葉が社会で取り入れられるようになりましたが、この事を"Dr.スランプ アラレちゃん"のペンギン村に当てはめて考えてみると、この課題は既に達成されているという風に見る事ができるかと思うのです。
前提としてそもそも"多様性(ダイバーシティ)"とは何なのか?というところを先ず表しますと、
【互いに非常に異なる多くの人や物の集まり】と定義されています。
例えば、自然界にあらゆる生物が存在することを「生物多様性」と言い、一方で、社会的な文脈で多様性という言葉に触れるときには、LGBTQ+や移民、障害を持つ人や女性といったマイノリティの人たちに関することが話題になっていることが比較的多いかと思います。
"多様性(ダイバーシティ)"の存在する世界に向けて、その事が先ずどういう事なのかを理解すると同時に、私達みんなそれぞれが当たり前の様に持っている事=性質を知る必要があると私は考えます。
つまりそれはどういう事かというと【抵抗】というものです。外国人の方を目の前にすると恥ずかしいとか、緊張するとか、怖いとか、
自分と異なった価値観の人と会うとよく分からないし、怖いし、面倒、だから結果なるべく関わらない様にするとか、あると思います。
自分の中の価値観と全く違ったことを目の当たりにした時、多くの人はわくわくするより理解できないと遮断するものです。その行動は当たり前に出てきてしまう行動で、多くの日本人の性質です。だから悪いことは何もなく、そういう性質があるんだという事をただ知っておく必要があります。
抵抗がある事をねじ伏せるでもなく、多様性を無理矢理受け入れるでもなく、違って当たり前の価値観の集合体がどんな世界なのかをイメージするのにペンギン村はもってこいなのではないでしょうか🤣🧚🏻♀️🌟🙏💕