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私の道徳

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なんだか今日は素敵な日だったな。好きな人たちに会えて、胸がいっぱい。
縄会に行ったけれど縄の写真は一枚も撮る事なく楽しく過ごした。



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ドミロンさんと出かける。
部屋をピンクにしてキラキラのサングラスをかけて「パーティーみたい・・・」と盛り上がったりする。

ここ数日また寝付けなくなる。
例えば23時に寝ようと布団に入っても、寝付くのは26時になる。では25時に布団に入ればいいのか?とやってみると、それだと朝方まで起きている事になる。
こういう時にホットミルクを飲むといいのかと気づき、毎晩飲んでいる。何杯も飲む事になるのだが。

何年も続いている習慣で、眠る前には繰り返し観た映画やドラマを流している。
定番は「American Horror Story: Asylum」とリンチ、ギリアム、キム・ギドクの映画。邦画を選ぶことはほとんど無い。眠気が来て意識を失っていく過程で日本語を聞き取ると、大変に奇妙な夢を見る事になる。寝起きから最低な気持ちになるのは避けたいのだ。

他の人はどうやって眠りについているのだろうか。ラジオ番組「ウィークエンドシャッフル」にて『ねぇ入眠』という、リスナーさんたちから眠りにつく前のルーティーンを教えてもらう特集があった。人は奇怪な寝付き方をするものだと驚いた。



1/24


一日休み。
雪が降り、忌々しい気持ちになる。でも雪はきれいだった。
手慰みにジムに行き、デッドリフトをする。七十五キロが挙がったので良しとする。

1/25


久しぶりに喫煙をしたが最悪な気持ちになる。
こんな代物を嬉々として喫していた頃もあったのだ。食べるものをろくに買えなかったのに煙草は毎日買っていた。
一日一箱のペースで喫煙をしていたが、ある日突然「私にはもう必要ない」と思いやめた。入籍した頃だと記憶している。なので五年ほど前だろうか。
離婚をして一年経ち、何だか色々あり、禊を落としたような気持ちになっている。一丁、過去の悪しき習慣を復活させてみるかと、そんな気持ちになった。

私は常に正しく生きようと心がけているが、清すぎるとつまらないと悩んでいた。少し悪い嗜みがあった方が人間としての幅が出るのでは。そんな魂胆もあった。
でも体が受け付けなかった。火をつけて、案外吸えるな?と思った次の瞬間には気分が悪くなった。こんな害悪しかないものは私には必要ない、と改めて体感した。

私は報酬系が弱い。
目先の快楽に惑わされて生活が破綻しかけたこともある。諸悪の二大根源であった飲酒や喫煙を断ち、粛々と過ごしていくことを喜びと感じたい。
喫煙は最悪だと再確認した。お酒は好きだが、好きゆえに計るようになった。適切なお酒を適切なタイミングで少しだけ。その他の快感についても制御出来ていると信じている。(今のところ苦情は来ていない。)
でもそんな人生って楽しいのだろうか。満喫できているのだろうか。せっかく生きるなら隅から隅まで味わい尽くしたい。私は欲張りなのだ。

余談だが、元夫に出家を勧められたこともある。
私なような下品でふしだらな人間が出来るわけないと一蹴したが、「そんな人にはことさらお勧め」と食い下がっていた。私を出家させたかったのだろうか。マージンがもらえるのかもしれない。

1/26
書こうと思っていたものを全て書いた。なので今日は日記に書くことが思いつかない。
あんまんと肉まん、それぞれ二つずつ食べた。昼食と夕食はこれらで良いことにする。牛乳も飲んだので全く問題がないはずだ。

1/27


女の子たちとおやつを食べたり、シーシャを吸ったり、サイゼでのんびりして過ごす。

1/28
弟とシーシャを吸いに行く。
生まれ育った環境が同じだからか、単に弟がいい奴だからなのか不明だが、一緒に居ると楽しい。遊び友達としての暦が一番長いのは弟たちだと思うとなんだか面白い。

1/29,30


カメラを持ってうろつく。



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一月は頑張って生きたと思う。感情が落ち着かず、常にそわそわして過ごした。困難の種を撒いて歩いていたのは私なのだが。行く先々で憂鬱な気持ちになるので自分を改めなければと心を決める。
ご褒美のようなお寿司を食べに行く。
雨が降っているが寒さを感じない夜だった。

5日間連続で友人たちに会えた。
寂しい等と言う隙もないくらい毎日笑って過ごした。
ふとした瞬間がかけがえが無さすぎて、「あっこれが幸せというやつか?!」と脳裏に閃く。このきらきらとした幸せに感謝した。辛いことがたくさんあったとしても、大切な人たちと笑い合える時間もある。

最近犯した罪の羅列が止まらない。
愚挙としか言いようがない行動を繰り返してしまった。
私は愚かで傲慢だ。みじめな思いをするのは仕方ない。ただ、私の道徳に背くことはしたくなかった。自分自身のために良き人でありたい。

写真のセレクトを一心不乱にした。
まるで贖罪だ。いや、もしかしたら自傷の方が近いのかもしれない。私は一向に良くなれないままだ。でもそれでいい。傷だらけになっても私を愛そう。傷をつけるのも癒すのも自分。ここで自分の力で思いっきり泣いて悲しんで後悔して怒って反省する。傷とともに生きていくのは私は私を大切に出来るからだ。どんなにぼろぼろになっても回復できるという自信もある。回復する過程に寄り添ってくれる友人や家族もいる。

切り刻んだ腕を見るたびに強く生きねばと覚悟する。あんなに辛い時期を乗り越えられた私のことを信頼している。
人が傷つけられることなんて、たかが知れてる。それよりも自分を裏切ることが怖い。
泥臭くて格好が悪くても、言葉と態度を尽くして気持ちを伝えたりしないと、後で後悔してしまう。妙に格好をつけていても、それでは誰の何にも響かない。本当に欲しいものは手に入らないままだ。
感情をむき出しにしても驚かない友人たちには心の底から感謝をしている。ありがとう、あなたたちが受け止めてくれるおかげで(もしくは全く興味がない態度をとってくれることで)、私は救われている。

良く生きるのは難しい。
誠心誠意生きてきたが、それでも示しがつかない時もある。私のことに全く興味がない人からしたら、「34歳バツイチ、リストカット跡あり、閉鎖病院入院歴あり、鬱病」なのだ。
ただ、私のことをメンヘラと蔑むやつは追いかけて殴る。私は適切な治療と投薬を受けており、医者からも多少信頼されている。メンヘラではない、鬱病の治療患者なのだ。
そもそも「メンヘラ」等という低俗な単語を皆んなが使っているから、使いやすいから、使うと相手を簡単にダメージを与えることができるから、というだけで使用する人は軽蔑をしている。自分の使う言葉を選んだ方がいい。相手に確実にダメージを与えたいなら、きちんとした言葉遣いや単語を選んだ方が効果的だ。
(ここまで書いて寝落ちした。)


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