趣味をマネタイズするということについて(4)☆プロとアマチュアの壁、あるいは境界
〈趣味が高じて仕事になった〉という言い方がある。じっさいスポーツ、芸術をはじめとして、多くのひとびとが趣味として楽しむさまざまな分野において、アマチュアでやっていたひとが途中からプロフェッショナルになることはよくある。それをときに〈趣味が高じて仕事になった〉と言うが、この言い方はよく注意をして受け取ったほうがよい。趣味(アマチュア)の延長に、有償で持続する仕事(プロ)が高い確率で自然と待っているわけではない。趣味即ちお金を払って楽しむのと、仕事即ちお金をいただいて創作物やサービスを提供するのとはまったく違う。お金を払ってサービスを享受するマインドと、サービスを提供してお金をいただくマインドとは並存しない。つまり趣味のマインドで、趣味のように仕事はできない。
アマチュアが創作したもので、或いは誰かに教えて、幾ばくかのお金をいただく。そういうことはよくある。ただそれはあらかじめ取り決められた、いわばビジネスとしての創作物やサービス(たとえば教える)に対する報酬ではない。たまたまの謝礼である。そのたまたまの謝礼がかさなって、結果としてメシが食えるほどの金額になったとしても、それはどこまでいっても創作物やサービスを受けたひとの、感謝とか労をねぎらうといった気持ちに基づく謝礼であるし、仮にたまたま謝礼によって生活を立てられたとしても、その人をプロと認識し、公然と〈プロ〉とは紹介しない。
アマチュアがプロになる契機は何か。それは自分がやっている分野の〈プロ〉と言われるひとびとが形成する社会(職能集団)が、その技倆、見識等を認めて仲間に入ることを許した時だ。その契機(プロとして認知されたという実感)は、プロになりたいと思い、それをつねに視野に入れてやってきたひとには分かるはずだ。よく〈プロへの登竜門〉と銘打って商業組織(例えば出版社とかレコード会社とかタレント事務所)がコンテストを催すことがある。しかしそのコンテストの優勝者や上位入賞者がプロとして、有償の仕事を持続してやってゆけるかというとそうはならない。コンテストの優勝、上位入賞というのは、あくまでその分野のプロの職能集団が、自分達の仲間として受け入れてよいかどうかの判断の機会を一応面前で与えたにすぎない。また逆に商業コンテストにひっかからなくとも、あるいは端からそのようなものに応募しなくとも、いつの間にかその分野のプロ社会にしらっと受け入れられて、その分野の需要にうまく応じて息長く有償の仕事を持続している人もいる。
ほぼ放っておいても自分に対して需要(仕事・やりたいやりたくないは関係なく)をつくってくれて、提供したサービスにそれなりのお金を払ってくれる場(装置・仕組み)に居るのが、たとえば企業と雇用契約を結んだ会社員である。会社員ほど安定的ではないにせよ、案件仲介プラットフォーム経由のギグワークのような刹那的な一発仕事よりは安定した需要を生んでくれる場が、その分野分野で形成されているプロの社会(職能集団)ではある。
しかしとはいえ仮にプロ集団の仲間に入れてもらえたとしても、つねにそれに相応しいクオリティーの仕事(成果物自体のクオリティとその分野の商業的需要への目くばり)をしていないと、その集団からはいつのまにか干され、技倆はプロの水準ながら有償の仕事がほとんど来ないという中途半端な状態になる。厳しいと言えば厳しいが、もとよりプロは何でもありで、かつ何にも無しのフリーランスであることを考えると当然だろう。
具体的な事例が身近にある。
当該記事においては固有名詞は避けるが、探ってもらったら分かるだろう。十数年前、俳人仲間であるM氏が、或る大手老舗出版社主催の文学新人賞(評論部門)に当選した。しかし受賞後の第一作はついに掲載されなかった、と仄聞する。ふつうは当選者の誰もに、最低限のチャンスとして、ほぼ慣例的に与えられる受賞後第一作がである。受賞後第一作にあたるものを、M氏が書かなかったわけでも、書けなかったわけでもない。受賞作と同様の俳句に関する評論(或る特定の俳人を対象としたもの)を編集部に出したが、もっと一般に需要のありそうなものを、と再考を促されたと直接聞いた(誰かに喋っているのを傍で聞いたかもしれぬ)記憶がある。そのうち受賞当時の編集長が交代になって、そのまま有耶無耶になったらしい。その後、何かお茶を濁すような雑文の一つか二つは書かせて貰ったかもしれないが、私は目にしていないし噂もきかない。
むかし現役のサラリーマンで多少羽振りがよかった頃、時折、ジャズのライブハウスに足を運んだ。さほど大きくないジャズ主体のライブハウス。コンボと言われるトリオ、カルテット、クインテットあたりの生演奏を目の前で聴くのが好きだった。ジャズプレーヤーの職人の匂いを嗅ぎにいった。プロのジャズプレーヤーも職能集団である。プロの嗅覚で選ばれたものしかその世界に生息できない。アマチュアとプロの境目がたしかにある。超絶技巧のプロとはいえ、多くは純粋な演奏活動だけでは食うてゆくのにかつかつだろう。あやうい世界ではある。
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