新年に思う、「限りのある時間」
1000日修行8日目
昨夜は天然社長と紅白を見ながら、知ってる人が全然いない上に、若い歌手のあまりの歌のひどさにアゼンとし(もしかしたら流行の歌い方はあんな感じで、私と天然社長が知らないだけかもしれないが…)、細川たかしの歌の上手さを絶賛するという、訳の分からない夜更かしをしてしまった。
寝たのが午前4時を回っていたので、当然ご来光を拝む気はさらさら無く、9時過ぎにノロノロ起きだした。そこで、今日はお昼に天然社長の兄上がいらっしゃる事を思い出し、いきなりターボでお掃除をして、2人でお節を詰めたりお雑煮の準備をしたりと、あわただしい元旦の午前となった。
天然社長の兄上は、私の香港人の友人タイガーにそっくりで、とっても親近感がある。タイガーは奥さんが4人、それぞれの奥さんに子供がいるという強者だが、兄上がそういう点も似ているか…今度聞いてみよ。
正午に兄上は、何やら大きな箱を抱えて到着した。箱の中身は、大間の大トロ、カニ、キンキ、あと名前忘れたけどカレイ系のめちゃくちゃ美味しそうなお魚とか沢山入っていた!
大トロは、ワサビをたっぷりつけても辛さを感じないくらいの脂ののり方で、思わず"うわぁ!"と歓声上げる位美味しかった。…棚ぼた人生まっしぐらである。
天然社長と兄上の昔の話しを聞きながら、変わり者兄妹のあれやこれやにゲラゲラ笑い、食後にコーヒーを飲んで、和やかに元旦は過ぎていった。
…かに見えた。
兄上を送り出してふと携帯を見ると、2番目の姉からラインが入っている。11月に具合が悪くなり緊急入院した義兄の事かと瞬時に思い、すぐに姉に電話をした。
入院してほどなく、肺がんのステージ4Bと診断された義兄だが、今朝から急に意識が遠のく時間が増え、血圧も100を切っていて非常に危ない状態にあるとの事。但し、面会は限られた人数、限られた時間でしか会えないので、私が駆けつけても会えるかどうか分からないと口早に姉が電話口で囁いた。
もう明日にはどうなるか分からない患者の面会すら制限するのか。憤りの持って行き場所を無くしながらも、今からすぐに帰郷すると姉に告げ電話を切った。
大急ぎで荷物をまとめながら、もしかしたら少し長い滞在になるやも知れぬと覚悟を決め、スーツケースを引っ張り出した。
あたふたと玄関に向かう私に、天然社長がお弁当を作って待っていてくれた。こんな時にそばにいて声をかけてくれる存在がいるのを、心から感謝した。思わず腕を回して感謝のハグをしながら涙が込み上げてくる。愛犬モコちゃんと天然社長に見送られながら、駅へと急いだ。
田舎へ向かう高速バスの中で、想いはあちこちに飛ぶ。カンボジアから帰った後、コロナの状況が悪過ぎて実家に帰れなかった私を、快く家に泊めてくれた義兄。一緒にスイカ畑に行って汗だくになりながら、大きくなったスイカを嬉しそうに世話していた姿は、つい3〜4ヶ月前の事だったのだ。
咳が出始めたのは9月半ば。街の呼吸器科の診断は秋口の花粉症。処方された薬で一旦は落ち着いたかに見えたが、10月なかばにまた症状が悪化して、何度も病院に通うが、ハッキリした診断は下されないまま11月に入る。業を煮やした姉の申し出で別の病院に送られるが、その場で肺がんの疑いがあり、11月10日に入院、15日ペット検査、18日に検査結果が出て、余命年内と宣告される。
病院の規則で、1週間に面会は一度、定員2名、15分のみと言う、なんともやりきれない状況下で昨年12月1日に久しぶりに義兄の顔を見たのだった。
義兄はやつれてはいたものの、しっかりした口調で話をしていた。透明な空気感が伝わってきて、私は内心、義兄はもう彼方に渡る準備をしているのではないかと感じた。同時に姉や甥たちを思うと、そんなに急がないで、と心の中で呟いた。
思えば義兄が余命を宣告されてから、毎朝お祈りしながら、もし私が義兄の立場だったらどう思い、何を考えているだろうと自分に問い続けていた。
そして気付く。
私達は全員、時期を知らないだけで、余命を生きているのだと。
限りのある時間を生かされているのだと。
そう思った時、私自身の人生を深く、本当に深く感じ入ったのだった。
私もいつ死ぬか分からない。もしかしたら明日事故で死ぬかもしれないのだ。
この限られた時間。
1日1日を丁寧に生きていかなければと思ったのだ。
義兄の命がけのメッセージだと思った。
今はとにかく、義兄に会えると信じて病院に向かっている。
最後に、ジョブスのあまりに有名な言葉を。
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「スティーブジョブス最後の言葉」
私は、ビジネスの世界で、
成功の頂点に君臨した。
他の人の目には、私の人生は、
成功の典型的な縮図に
見えるだろう。
しかし、仕事をのぞくと、
喜びが少ない人生だった。
人生の終わりには、富など、
私が積み上げてきた
人生の単なる事実でしかない。
病気でベッドに寝ていると、
人生が走馬灯のように
思い出される。
私がずっとプライドを
持っていたこと、
認証(認められること)や
富は、迫る死を目の前にして
色あせていき、
何も意味をなさなくなっている。
この暗闇の中で、生命維持装置の
グリーンのライトが
点滅するのを見つめ、
機械的な音が耳に聞こえてくる。
神の息を感じる。
死がだんだんと近づいている…
今やっと理解したことがある。
人生において十分に
やっていけるだけの
富を積み上げた後は、
富とは関係のない
他のことを追い求めた方が良い。
もっと大切な何か他のこと。
それは、人間関係や、芸術や、
または若い頃からの
夢かもしれない。
終わりを知らない富の追求は、
人を歪ませてしまう。
私のようにね。
神は、誰もの心の中に、
富みによってもたらされた
幻想ではなく、
愛を感じさせるための「感覚」
というものを与えてくださった。
私が勝ち得た富は、
(私が死ぬ時に)
一緒に持っていける
ものではない。
私が持っていける物は、
愛情にあふれた思い出だけだ。
これこそが本当の豊かさであり、
あなたとずっと
一緒にいてくれるもの、
あなたに力をあたえてくれるもの
あなたの道を
照らしてくれるものだ。
愛とは、何千マイルも
超えて旅をする。
人生には限界はない。
行きたいところに行きなさい。
望むところまで
高峰を登りなさい。
全てはあなたの心の中にある、
全てはあなたの手の中に
あるのだから
世の中で、一番犠牲を
払うことになる
「ベッド」は、
何か知っているかい?
シックベッド(病床)だよ。
あなたのために、
ドライバーを誰か
雇うこともできる。
お金を作って
もらうことも出来る。
だけれど、あなたの代わりに
病気になってくれる人は
見つけることは出来ない。
物質的な物はなくなっても、
また見つけられる。
しかし、一つだけ、
なくなってしまっては、
再度見つけられない物がある。
人生だよ。
命だよ。
手術室に入る時、その病人は、
まだ読み終えてない
本が1冊あったことに
気付くんだ。
「健康な生活を送る本」
あなたの人生がどのような
ステージにあったとしても、
誰もが、いつか、
人生の幕を閉じる日が
やってくる。
あなたの家族のために
愛情を大切にしてください。
あなたのパートーナーのために、
あなたの友人のために。
そして自分を丁寧に扱って
あげてください。
他の人を大切にしてあげてください。