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人間関係は車間距離…母と私
1000日修行17日目
今日は初七日。昨日姉に聞いたら、前火葬を行った8日の夜は、疲れたせいもあり家族全員でお握りだけ食べて過ごしたと話していた。姉のところは息子3人。誰も料理が好きではない。今日お線香を上げに行く時、何か作って持って行ってあげようと昨夜大根の煮物を作った。
ちょうど大きなドンコ(干し椎茸)があったので、鶏肉と大根で生姜をきかせ薄味で仕上げる。一晩おけば食べごろになるはず。母に大根の煮物を作ったと伝えたら、肉じゃがにすれば良かったのに、と言われる。折角作ったのに何で?とムッとする。母が肉じゃがを好きなのは知っているが、もう作り終わったんだから、「ご苦労様、次は肉じゃがでも作ったら良いね」くらい言えば良いのに。…と、そのままを母に言ったら、悲しそうな顔をされてしまい、あ、やってしまったと思う。
大好きな母だけど、何せ離れていた時間が長過ぎる。距離の取り方が時々難しくて、小さな事でイラっとしたりする。実の親子でこうなんだから、お舅さん、お姑さんと同居の方とか大変だろうなぁと思う。
でも、さすがに今回の様な身近な人を亡くすと、母の残りの時間を思い、一緒にいる間はその時間を大切にしようと切実に思う。だが、、だ。
母は物忘れはするが、ボケてはいない。だが、自分に都合が悪い事はボケたフリをする。そして、91の今も薬いらずの健康体だが、耳が遠い。耳が遠い人は長生きすると言うが、それを地でいっている。テレビの音はめちゃくちゃ大きいし、朝起き抜けは特に聞き辛いらしく、大声で話しても聞き返してくる。そして、ボケたフリ同様、聞こえないフリをしているのでは?と思うことがあるのだ。
何度か同じ事を繰り返して言ううちにウンザリしてしまい、母を大事にしようという思いをどこかに置いてきたりする。やれやれ、だ。
でも、久しぶりに会う私に美味しい野菜を食べさせようと、寒空の下曲がった背中をものともせず家のそばの畑に出かける母の姿をみると、胸がいっぱいになってしまい、「ごめんね」とその後ろ姿に呟くのであった。
人間関係は車間距離。
近づき過ぎるとぶつかるし、離れ過ぎると相手を見失う。
随分前に外山 滋比古氏の本でこの文を読んで、まさに!と思ったものだ。
母にはまだまだ健康で長生きしてもらいたい。でもお互いに確実に歳をとるので、わがままになっていくばかり。それを理解しながらもお互いを想う気持ちをベースに、実の親子とはいえ、ほど良い車間距離をとりながら生きていきたい。
お母さん、これからも宜しくね。