母の本棚
1000日修行25日目
昨日に引き続き、本の話しを少し。
子供の頃、実家に小さな本棚があった.
木製で、白木ではない明るめのベージュ色で、観音開きのドアには内側から白いカーテンがかかっている、ちょっとオシャレな本棚だった。
その中には、母の読んだ本がぎゅうぎゅうに詰め込まれていて、それらの多くは旧仮名遣いだった為、あまり出番は無さそうだった。
夏目漱石や川端康成の本に混じって、厚さがバラバラの雑誌大の本が何冊もおいてあった、。そのタイトルは
「チボー家の人々」
母の若い頃、翻訳されるごとに発行されていた為、厚さがバラバラだったらしい。
レトロなイラストが描かれた表紙に惹かれ、ろくに読めない旧仮名遣いのページを捲るのが、その頃の私のお気に入りだった。
小学生の頃、私たちが読む本を選んでくれていたのは母だった。理解が出来るように、その年齢に応じた本を選び、与えてくれていた。例外は漫画。私には姉が2人いた為、漫画だけは読みたいだけ読ませて貰っていた。
そんな中、小学6年になった時、チボー家の人々を読みたいと母に言ったら、少し早いかもしれないと言われた。
中学生になり「罪と罰」を読み始めた時は、読めるのならと、何も言わずに見守ってくれた。
この時も夢中で読んだ。学校の休み時間にも本を取り出して読んでいた。
ところが学校の先生に、「中学生に罪と罰が理解出来るはずがない」と断ぜられたのだ。
私には先生が何を言っているのか、さっぱり分からなかった。その時の私は、自分の殺人がバレる恐怖とやった事への勝利感、ふてぶてしさと繊細さ、優越感と深い劣等感という、常に二律背反の感情を抱えたラスコーリニコフに自分がなっているかのように感じていたのだ。
年月が経ってしまい、内容も曖昧になっているが、広場の土に額ずいて神の許しと祝福に涙を流すシーンでは、思わず胸が詰まり涙を流したものだ。彼の心情を理解できないなどあり得ないと、自分では思っていた。
その当時、先生の言葉を聞いて怒った母が、「読書はそれぞれの人にあった理解度があります。それ以上に、興味を持つ事が大事なので、興味の羽を折ってはいけません」と学校まで抗議をしに行ったのである。
豊かな読書経験だったなぁと、子供時代を振り返るとしみじみ思う。その豊かな読書経験は、思い返すと実家にあった母の本棚から始まっていた。あの旧仮名遣いの読めない本の数々。そこには何やら人を魅了する魔法がかかっていたのではないかと今になって思う。