年末年始アレルギー
2020年もあと1ヶ月と少しですね
みたいな言葉を見聞きするたびにぞわっとする
私は年末年始アレルギーだ
本気で溶ける夏からやっと解放されて、肌寒さが心地よく、薄着すぎたかなと後悔できることが嬉しい秋も通過し、いつの間にかやってきている冬。
冬がやってくるということはヤツもやってくる、
そう、年末年始だ。
私はとてつもなく年末年始が苦手で逃げたくなっているし、なんかもう心が痛痒くなる。年末年始アレルギーの症状が出ているのだ。
クリスマスが近づくと、かなり怯え始めるし、12月26日になったらもう叫んでしまいたいのを堪えて毎日ギリギリで生活を送る。
1年を振り返り、学校や会社は休みになるところも多く、大掛かりな掃除をし、特番ばかりが流れ、あの巨大すぎて避けられないムードが周りを囲んで固めてくる。年末年始は四面楚歌。
いちに、大勢の人間が休日になる。
皆年越しに向けて何かしらをするし、なんか忙しないし、なんかパーソナルスペースが狭くなる。こちら側としては全然休んだ気がしない。
外も内もぜんぶお正月に向けて休日やら何やらで人がいる。
にに、その忙しなさ。
時間は刻一刻と流れるので、そりゃあいつでももちろん追われている。
でもなんかこの時期、時間も人の圧も全部追ってきません?
大きい節目だからなんだろうけど、それに託けて全てを整理しようとされる。何なら毎日毎日がその日限りで、今ももう特別な瞬間みたいなものなのに。
さんに、あの雰囲気。
たぶんどっちかというと(?)日本の厳かめな雰囲気が苦手だ。めっちゃかゆい。
海外みたいなパーティー感覚ならもう少しじっとできるかもしれないし、希望としては普段と同じように過ごしたい。毎日を勝手に雰囲気やしきたりが乗っ取ってこないでほしい。やさしめに表現するとハイネックのお洋服を着たときの首の苦しさ、鋭めに表現するとしがらみ が すぐそばを纏う。
伝統はとても大切だろうけど、なんかそういうのがうーーーってなるという話。あの正座をずっと続けるのがきついとか、学校の集会のときにじっっとして前を向き話を聞き続けることのむずむずさとか、なんかそういうのとちょっと似てるかも。
よんに、人が集まること。
家族や何かしらの集会、神社や初売りに旅行や何やらで人が集まる。
絞られすぎた巾着の紐の気持ちが今ならちょっとわかるよ、
もはやこちらとしてはマインドで生きているのでそっとしたい。雰囲気やしきたり、伝統とも関係しているんだけど、全てを選択制にしてほしいし、個として在りたい。他のイベントみたいに自由にして!!!(年末年始、お正月はイベントではありませんというのはどこかに置いておいてください)
ごに、特別にさせすぎ。
わかってる、わかってます。色々と節目で重要なこと。
でも日常とかけ離しすぎ!(個人的な意見です)
テレビもなんでもぜーんぶ新春系。SNSも何もかも目や耳に入る全てが新しい春を物語ってる。(そりゃそう)
でもやってる方も見てる方もなんかどっと疲れたりしませんか?なんかもう「日々を重ねていくだけでええやん…」と私の心の中に住むどっかの大御所が言っています。
知らんけど__
知らんけど、のちの トーク
そう、だから私は にじゅううんねん、物心ついてから年末年始アレルギーに悩まされている。
少しずつ自分のやりたいように過ごしやすいようにしていきたくて、年末年始を苦手や嫌いで片付けすぎるのをやめたくて、試行錯誤している。
いつか、この時期も無理なく過ごせているときがきたらいいなあ、
このあいだの年末年始とやらは、うどんを捏ねて天ぷらをあげて、食べて寝て、朝ごはんに大きいロールケーキをそのままつつくなどして、少し息をして過ごし………
年末年始とか関係なくて楽しかった、そういう時間があったから、年の区切りというビックウェーブ的なものを乗り切って?流されて?、これを書いているし、
そういう日をたくさん作れたらもっと息がしやすくなるな〜と日々、努めている。
最後に、さっきも話していた2019年12月31日〜2020年1月1日、私とアレルギーの戦いとその向き合い方の一部を…
愛しい生地
寝かせて発酵させたらぷくぷくのもちもちになった…
麺にすべく、伸ばして切って、
油でえびと茄子を踊らせ、添え、なんかテンション上がりそうなかわいいかまぼこがこちらを見ているうどんを作った
そしてそのまま食べられたロールケーキ、
洋みのある、揚げ鳥と焼き鳥うどんを食べたり…
--おわり--
(年末年始との戦いはまだまだ続く)