雑記20190505 なぜ楽しいのかを理解する楽しさ
写真を取るのを初めて楽しいと思えた。
最初は技術的なアプローチだ。
RAW現像という技術をやってみたくなった。調べればiPhoneアプリで撮影してWindowsフリーソフトで現像もできると。
これなら今ひとつ楽しさが分からないでいる写真という楽しみが理解できると考えた。
甘かった、全然わかんねぇ、植物園で見た蕾を撮っても
「リオレウスの卵です、これはリオレイア」とか考えるので精一杯だ。
ふと、本当にふとだ。道を撮ってみた。
道を中心に捉えて、左右対称の構図にしたときにきれいに思えたからだ。
これがよかった。
また同じように道を中心に捉えて写真をとる。
どこにピントを合わせるべきなのかを試す。
写真に取りたいのは今俺がこの目で見ている風景だ。
俺の目がピントを捉えている所にピントを合わせればいいんだ。
これがわかった瞬間からどんどん楽しくなった。
楽しさに気がつく瞬間ってのは新鮮だ。いくつになっても、むしろ年をとってからのほうが新鮮だ。
今までの経験から新鮮さを感じる瞬間はどんどん減る。
それなのに新鮮に感じるのだから、もっともっと知識が欲しくなるのだから、楽しくないはずがない。
最初に考えていた部分とは違う着地点なんだと思う。
それでも、楽しいのだから、これはいいな。
もっと、もっと先に。
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