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あっても無くても良い音は重ねるべきではありません。
レコーディングにおけるダビングの話です。
日本人は音をやたら重ねる傾向にあります。シンプルな編成から一つまた一つとギターやシンセを重ねていくとサウンドが豪華に聴こえるように感じます。これも重ねたい、あれも重ねてみたい、となってどんどん音像が過剰になっていきます。
音を重ねるということは音を増やすということです。音を増やせば増やすほど、それまで録音した音の価値を下げることになる、ということを忘れてはいけません。何故なら音を重ねることでそれまで録音した全ての音が多かれ少なかれ埋もれてしまうからです。
あっても無くても良い音は重ねるべきではありません。
それまでの音のサウンドの中での重要度が下がります。音の価値が下がります。より聴こえ辛くしてしまいます。どっちでも良い音のために重要な音の立ち位置を低下させるようなことはしないでください。
シンプルなサウンドほど歌が立ちます。リズムも立ちます。最も重要なフレーズも立ちます。それぞれの重要な音のヌケが良くなります。曲の骨格が明確になりリスナーに伝わりやすくなります。
音が分厚くなると最も埋もれるのがリズムです。中でもベース。ベースの音が埋もれてしまうとグルーヴを損なってしまいます。
日本の音楽は伝統的にリズムに対して無頓着です。
英米のポップミュージックと比べると一目瞭然です。唯一の例外がフィルスペクターですが、彼の音楽は一つひとつの音を重要視しません。全ての音を塊と捉えて音作りをしてます。彼独特の深いエコー効果を生むためです。
他にも流行りのシューゲイザーやドリームポップなどのような例外もありますが、やはり基本は重要な音だけでサウンドを構築する、ちょっと足りないな、くらいが丁度良いんです。足りないのは重ねるべき音では無く、フレーズのアイデアや演奏力、そして何より曲そのものの可能性が高いと思います。