Nike創設者フィル・ナイトの進み方
このnoteでは、Nike創設者フィル・ナイトから把握する、苦難への乗り越え方、を書きます。
非常にストーリー・テラーである彼がどうやってその事業を拡大し続けたか、どうやってNikeができたかも中心に
箇条書き
で書いていきます。
ちなみに、本は下の通り。500ページ以上ある本ですが、内容は価値あるものです。
ビジネスとは、金を稼ぐことではない
・フィルナイトの金言
・ビジネスとは何か?
・ビジネスとは、レースである
・勝ち続けなければいけないレース
・しかし、勝つまでの手段は人それぞれ
・様々な苦難
・様々な成功
・様々な出会い
・それら全てがレース上に置かれている
・ある人は、その様々を手に取る
・また、ある人はその様々を手に取らない
・取るも取らないも、その人次第
・フィルナイトは、それら全てを取った
・取るだけでなく上手に活用した
・実際、彼の著書の中におけるピンチというものは、彼だからこそ解決できたのだな、と思わされる
・そのピンチは真正面から受け止めるべきものであれば、ただ受け流すだけで良いものもある
・過程から結果までが記されているから、それらは安心して読み続けていられた。
・だが、自分が実際に直面した時、その回答を導けるか?と問われたら、首を縦に振ることはむずかしい
・フィル・ナイトは考え付く限りアイデアを出す
・考え抜いて出した答えは、後の結果に功を奏す
・その著書の中で、彼が思考と行動を止めることは
・一度たりとてない
・彼は走り続ける
Nikeは、考えに考えて出した選択
・元々彼は、日本製の靴オニヅカをアメリカで売っていた
・当時(1962年)は、Nikeという会社も存在していなかった
・彼の行動は、大胆でシンプル
・とにかく売り込む
・売り込んでは、その売上を次の購入費に充てる
・だから、最初は利益なんて気にしない
・事業の拡大をひたむきに目指す
・銀行からも融資を貰い、全てを購入費に充てる
・覚悟を持ったバカなアイディア
・売れなければ、その時点で融資は終わりなのに
・「世界は馬鹿げたアイディアでできている」
・「歴史は馬鹿げたアイディアの連続」
・そんな言葉を残す彼だからこそできる戦略
・ハイリスクを取ってでも、可能性がそこにある
・だから突っ込める
・彼が最初に作った会社の名はブルーリボン
・ブルーリボンとは、昔陸上競技で勝ち取った時に得たもの
・彼が胸を張って自慢できるもの
・オニヅカとの対面でパッとでた名前
・そこからオニヅカとの契約は始まっていった
・彼のレース上には、幾度となくピンチが舞い込む
・発注の遅れ、銀行からの融資の上限
・その中でもマルボロマンの独占販売権の主張は濃い印象を持たせた
フィル・ナイトは、1964年にオニヅカシューズの販売権はない、とマルボロマン(別地区の販売元)に言われていた
・ピンチがピンチを呼ぶ
・首が回らなくなる
・途方に暮れる
・それでも彼は諦めない
・オニヅカとの連絡が取れないと分かるや否や、
・すぐに日本へと向かう、その行動力
・そして、当時の担当者:モリモトに出会うや否や、
・ピンチをチャンスに変えていく、その交渉力
・相手に声が届いていないと分かった瞬間に、別の視点から話を持っていくその柔軟さ
当時、フィル・ナイトはオニヅカの担当者モリモトに対して、今までの彼とオニヅカとの関係を話していたのだが、それがモリモトの情を動かさないと分かり、話を個人の感情からビジネスの話、つまりオニヅカシューズの売上、圧倒的サポーターがいる、といった「自分に販売権を渡してくれれば、アメリカでの販売は安泰だぞ」アピールをしたことで、販売権を1年継続してもらえた。
・ひたむきに販売を続けるも、オニヅカとの契約は10年もたなかった
・しかし、ただ契約を打ち切られている彼ではない
・オニヅカとの契約が難しいと分かった時に考えた戦略は、
・今度は自分たちが靴を作ろうというもの
・Nikeというストーリの始まり
・Nikeは、もともと勝利の女神(ニケ)から取ったもの
・Nikeの名前の由来は「勝利」
・このネームアイディアは、ギリギリになって考えられていた。
・必死に考え続けたからこそ、皆が納得できる名前
チャーチルは言う
・我々の目的は何か?
フィル・ナイトは言う
・それは勝利だ
Nikeは動く
フィル・ナイトは、40年間NikeのCEOとしてその職務を全うした
今現在は、その道を退いている
だが、彼の意思を引き継いだNikeは走り続ける