20歳の自分に受けさせたい文章講義〜冒頭部分のまとめ
学校における、国語の作文は「先生にいかに認められるか」という先生基準で書いていたのに対し、学校を卒業すれば先生基準は、なくなってしまった。しかし、私たちに残ったものは「いかに先生に怒られないように、また褒められるように」書く文章を身につけるか、であった。つまり、良い子を演じて書く文章のノウハウを手に入れてしまった。その結果として、味気のない、万人に通じる内容を書き上げる技術だけ発達してしまった。
本来の文章は、先生のために書かれたわけではない。
本書では、その本来の文章の書き方を教えてくれた。
以降、本書の冒頭と第1節のまとめ
冒頭〜
あなたが言いたいこと、それは口から出せる。
しかし、あなたが書きたい事、それは正しい文章にしなければならない。
その時、頭の中でイメージしているのは、すべて「ぼんやり」としたもの。
そして、本書ではそのぼんやりを「ぐるぐる」と表現していた。
本来、頭の中で抱える「ぐるぐる」を、伝わる言葉に”翻訳”したものが文章である。
それを今まで習っていなかったから、いざ書こうと思っても手が止まってしまう。
書こうと思うと、尚更書けないようになるのは、このためである。
口では言えるのに、文字にしようとするとなぜか戸惑う。
頭の中で「ぐるぐる」してしまう。
しかし、この頭の中で起こりうる「ぐるぐる」を翻訳したものが、先ほども伝えた通り「文章」なのだ。
「翻訳」
これさえ出来れば、文章を書くことへの悩みは消える。
そして、これをする際に抱える問題が次の2つだ。
1:「文章を書こうとすると固まる」場合
→まだ頭の中で整理ができていないことを示している。
「ぐるぐる」した状態が「何なのか」を精査する必要がある。
→「書く」ことを通じて自分の「解」を掴んでいけば良い。
2:「自分の気持ちをうまく文章にすることができない」場合
→もしかすると、あなたが抱えている「ぐるぐる」を誤訳してしまっている。
この場合は、翻訳する技術が必要になる。
文章の世界では、「考えてから書け」と言うアドバイスがあるらしい。
しかし、筆者は「考えるために書く」ことをオススメしている。
書くという「アウトプットを通じていくこと」で、理解が深まるからだ。
自分の気持ちをうまく文章にすることができないのに、どうして書けるのか?
このアウトプットの仕方は様々だが、1つ提唱していたのは
「何を書くか」
に限定するのではなく、
「何を書かないか」
に絞る事で、自ずと正解が見えてくる、としていた。
翻訳の実践
本書の冒頭部分では
1:再構築
2:再発見
3:再認識
の3つを、翻訳の第一歩として勧めている。
大切なのは、自分が見つけてきた言葉たちを上手に繋げるということ
以下1、2、3の例:
(元文)あいつの就職先はA会社だって。けど、あいつは独立したいらしい。手取りに不満があるからなんだって。
この断片的な文章に肉付けをする
(再構築)あいつの就職先はA会社らしいね。けど、あいつは、(その会社に不満を持っているらしく)独立したいらしい。(その理由の1つとして)手取りに不満がある、というのを言っていたよ。
さらにここから、発見を見つける
(再発見)あいつの就職先はA会社らしい。(そういえば営業と言っていたな。そうか、A会社の営業は激務って聞くもんな。それで)あいつは、その会社に不満を持っていて独立を目指しているらしい。その理由の1つとして、(激務であるにも関わらず)手取りに不満があるから、って言っていたよ。
最後に再認識をしていく。
自分自身が、どこに興味を持ったのかを再認識していくのだ。
前文で「A会社」「アイツ」がキーワードになっていた。
ここで再認識をするなら、どんなことが挙げられるか?
キーワードに沿っていくなら、次に抑えたい情報は、A会社の実態である。
「激務」という情報はどこからきたのか?
A会社は、どのくらいの手取りなのか?
あいつは、何故その会社に入ったのか?
あいつは、独立して何になるのか?
そういって、深掘りをしていけるところをしていくことで、文章に厚みを出していく。
これらを「書く」ということを通じて理解を深めていく、というのが本書の冒頭部分である。
様々な書き方
文章は、リズムで決まる
リズムは、「論理展開」によって決まる
美文を書こうとするのではなく、正文を書く
文章を書く上での「求められるスキル」が、本書では盛り込んでいた。
下に例を出してみた。
例①:この前のあなたは、「ペンが見当たらない」と言っていたと思いますが、「それって実は失くしたのではないか」と個人的に思っています。
例②:ペンが見当たらない、って言ってたけど、失くしたんじゃないの?
同じ意味なのに「どちらが読みやすいか?」と聞かれたら、例②に圧倒的な票が入るだろう。直接的であり、簡潔に内容を捉えているからだ。
これが、リズムの1つである。
しかし、②のように、断定の言葉は言い切り型なため、非常にリスクをともなってしまう。
じゃあ、どうするか?
それは、断定したい文には「論理」を組み込むことである。
どんな正論、暴論であろうと、強く断定するとそこに反発が生まれてしまう。
そして、断定した文に穴があれば、その文はすぐに価値がなくなってしまう。
だから断定を使う文には、論理の正確性を120%求められる。
本書では、「説得力のある文を書くには、納得させる文を書くこと」と述べていた。
100%好かれようとする文章は、アイデンティティのない文章である。
「何百万人もみるブログを作ろう」
そう思いながら書くブログの内容は、多数派に向けたブログになる。
多数派に向けて書くから、みんなが「たしかに」と思う情報を届ける。
自分の不用意な発言から「炎上」などしては大変なので、炎上しないように心がける。
しかし、
果たして、それで良いブログが書けるのか?
炎上をしないように、が目的になっているのではないか?
誰からも批判されないブログが面白いのか?
これではイケないのである。
”全員から認められる文章”を、書こうと思えば思うほど、”誰からも喜ばれず、見逃されてしまう文章”になってしまうのだ。
そういった意味でいうと、ペルソナ設定をしてきた人たちは、「明確に読者の選別をしている」ため効果的だったのではないか。
これに関して、恋文が1つの参考になる。
恋文は、自分の思いだけではなく、相手への思いも書いて相手を納得させようとする。
そこで必要なのは、
・相手がどんなことを求めているか
・それに対し、自分は「こうである」と明確化しているのか
・相手の気持ちは汲み取れているのか
・相手に説得ではなく、納得させる文章であるのか
などの、
相手のことを考えた文章である。
相手に納得できる文を自然と完成させようとしているのだ。
これが、本来の「客観的視点で読み解く上で重要なこと」である。
「あなたがどんな文を書くか」は把握していないが、独り善がりにならないためにも、この本は必読である。
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