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創造か進化か
最初の人類―アダムとエバの創造、エデンの園の伝説は、誰もが一度は耳にしたことのある有名な話です。このアダムとエバの伝説は、ほとんどの日本人から単なる神話と見做されていますが、その最大の理由は幼い時から進化論を科学的真理として教えられているからです。つまり、進化論は科学的事実だが、アダムとエバの伝説は非科学的な神話だと考えられているのです。
ところが、世界的な規模で見れば、アダムとエバの伝説を科学と調和した真実だと見做している人も少なくありません。世界の著名な科学者の中でも、神による創造説(創造論)を科学的事実として認める人は多いのです。
「進化論か創造論か」―どちらの説を信じるかは、私たちがなぜ生まれ、何のために生き、どこへ向かっているのかを理解する上で、極めて重要な問題です。どちらの説が科学的・論理的に矛盾のない説なのかを、ご自身の目で確かめてみることをお勧めします。
●進化論とは
「生物は造物主によって現在の形のまま創造されたとする種の不変説に対して、原初の単純な形態から次第に現在の形に変化したとする自然観。一九世紀後半ダーウィンらによって体系づけられ諸科学に甚大な影響を与えた。」(大辞林 第三版)
進化論は、日本ではあたかも科学的真理かのように教えられていますが、実は証明された説ではなく、あくまで仮説の域を出ていません。また上記の定義からもわかる通り、進化論とは創造主による介入を抜きにして生命の起源を説明しようとする説であるため、その考え方の本質とは「無神論」だと言えます。
しかし、神が存在しないことは科学では証明できないので、突き詰めれば、進化論には特定の信仰を前提とした宗教的な性質があることがわかります。
●創造論とは
創造論とは、宇宙や生命などの起源を、聖書の創世記にある「創造主なる神」に置く考え方であり、その神によって天地万物の全てが創造されたとする様々な議論を意味します。創造論は「創造主なる神」を元に考える説であるため、進化論の場合と同じく、その前提には特定の信仰が関係していると言えます。とはいえ、追って説明をしていきますが、生命に関して観察できる事実は創造説と実によく調和するのです。
●これらの議論がなぜ重要なのか
もしも進化論を信じる場合、私たちの多くは、次のような人生観・世界観を持つことになります:
人間の存在自体には、特定の目的があるわけではなく、全ては偶然の結果である。
全ての人に道徳的責任を求める神は存在しない。そのため、究極的には、人は自分の好きなように生きれば良いとなる。
人は死んだら無になる。そのため、人生の目的は今をいかに良く生きるか、ということに集約される。
老化や死や苦しみは、自然淘汰の中で遠い昔から繰り返されてきたのであって、避けられるものではなく、これからも同様である。
しかし、創造論を信じる場合、私たちの人生観・世界観は、次のように大きく変わることになります。なお、神による創造論を信じる多くの人は、解釈の程度はあれ、創世記の記録を史実と見做しています。ただし、クリスチャンの中にも、創世記を信じない人たちがいることも事実です。
人には、創造された目的と確かな意味があり、それは神と共に永遠に歩むことである。
人には責任を負うべき神が存在するため、人は神を意識して、神に対して生きる必要がある。
人は死んでも無にはならず、死後には裁きある。そのため、地上の人生では永遠の未来を見据えて、良い生き方を選ぶ必要がある
死や苦しみの原因は、アダムとエバに始まる「創造主に対する反逆」である。そのため、神に従うことによって、創造主の恵みによる「永遠の命への道」を選ぶことが、根本的な解決策となる。
以上の点から、創造論・進化論・どちらの立場を信じるかは、私たちの人生の生き方を大きく左右する、極めて重要な問題だと言えるのです。
興味深いことに、アダムとエバ、エデンの園に関する楽園伝説は、聖書の創世記だけでなく、世界中の伝承にも存在します。これらの伝説を紹介する前に、まずは創世記にある最初の人類であるアダムとエバの記録を紹介いたします。
●創世記におけるアダムとエバ、エデンの園の内容
はじめに神は天と地を創造されました。創造主は、六日に分けて、段階的にこれらを創造していき、第六日目に最初の人間を創造しました:
創世記1:26~28
26 神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」
27 神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。
28 神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」
創世記2:15~17
15 神である主は人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。
16 神である主は人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。
17 しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」
「食べたら死ぬ」と言われたことから、最初の人間は、神との約束を守り続ければ、永遠に生きるよう創造されていたことがわかります。続いて神は、アダムの妻となるエバを、アダムのあばら骨の一つを取って創造しました。
彼らは何不自由のない暮らしをしていましたが、ある日、エバの元へ蛇が現れました。この蛇は女を欺いて創造主を偽り者であるとし、善悪の知識の木から取って食べても死ぬことはないとそそのかしたのです(ここで蛇を通して実際に女に話しかけているのは悪魔です)。
創世記3:4~6
4 そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。
5 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」
6 そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。
残念ながら、アダムとエバは、神との約束を守らず禁じられた木から取って食べたので、罪を持つようになり、苦しみや死を経験するようになってしまいました。そして、彼らはエデンの園から追い出されたのです。
創世記3:17~19
17 また、人に仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。
18 土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。
19 あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」
●世界各地の楽園伝説とその共通要素
創世記にあるアダムとエバ、エデンの園に関する楽園伝説は、聖書だけでなく、世界中の伝承にも存在します。例えば、バビロニアで発見された碑文には次のような内容の伝承が記録されています:
「人類の最初の人は、はじめは罪がなかったが、彼は神々を怒らせてしまったために「死ぬ者」となり、それ以来人類に病気や死などの災いが入った」(ヘンリー・H・ハーレー著『聖書ハンドブック』)
他にも、ペルシャ、ヒンズー(インド)、中国、ギリシャ、オーストラリア、など世界中の国々や地域の伝承に、同じような伝説を見ることができます。
ギリシャ:黄金時代の最初の人は「裸」であり、悪も労苦もなく、神々と自由に交わっていた。そしてある「女の不従順」によって、病・狂気・老化・その他の災いが解き放たれた。
ペルシャ:我々の最初の両親は、「蛇の形をした悪霊」が現れる前は、罪がなく、美しい性格を持っており、幸福で、「不死の木」のある園に住んでいた。」
これら世界中に見られる楽園伝説は、創世記のアダムとエバの伝説と実によく似ており、次のような共通の要素を挙げることができます:
最初の人間は不老不死だった。
最初の人間には罪や災いが無かった。
美しいパラダイスに住んでいた。
欺きをもたらす蛇が現れた。
女の不従順によって災いがもたらされた。
不従順は「一本の木」に関するものであった。
では、このような聖書の記録と類似する伝承が世界中に残っている事実は、アダムとエバの伝説の史実性について、何を明らかにしているのでしょうか?
●共通する伝承の存在は何を意味するのか
(1)世界中に存在する類似した伝説の存在は、世界中に広がっている民族には共通の祖先がおり、その子孫が世界に増え広がっていく過程において、共通の祖先から聞いた伝承が携えられていったことを明らかにしています。
そしてこの推論は、大洪水後のバベルの塔の事件の後、ノアの子孫が世界中に広がっていったとする聖書の記録と一致するのです。
(2)世界中に離散した子孫の多くが、その伝説を共通して継承していったという事実は、その伝説の内容が共通の祖先と離散していった先祖たちにとって非常に重要なものであったことを示唆しています。
以上の点から、アダムとエバの伝説は、人類共通の伝承・記憶として刻まれているものであり、単なる神話として片付けられるようなものではないことがわかります。さらに、科学的な証拠の数々を踏まえれば、神によるアダムとエバの創造論は、極めて現実的な説であることが理解できるでしょう。