ミュンヘン旅行 世界一のビールパーティーを見る 九月二一-二十三日
今日から南ドイツへの旅である。朝起きるのが早い。緊張しているためか、夜中一時間ごとに目を覚ます羽目に。七時九分にゲッティンゲンを出発予定。朝日本から持ってきた中華丼を食べる。
朝、余裕で駅へ。外はもう暗い。寒い。先ずはWürzburgへ向う。ここでバスに乗るためだ。快調に進んだと思ったそのとき、事件発生。切符チェックである。
駅員(美人)
「切符見せてください」
「はい」
と買っておいた切符を見せる。そして、
「割引が効いているので、割引証(バーンカード)を見せてください」
といわれる。バーンカード携帯は知らなかったので、
「家に置き忘れました」
という。そうすると、
「バーンカードがないと、割引分本当は払ってもらうのだけど、しょうがない。いつも乗るとき携帯しておかないとだめだ」
とおこられる。帰りの切符もちゃんと買ってあることを証明できたので、何とかスタンプを押してもらえた。
Würzburgに到着。Eurobusという観光バスでロマンチック街道を南下する予定である。そのバスがくる九時四五分まであと一時間以上ある。どこか行くことにするか。
この街は世界遺産があるらしい。じっくり見るのは時間がない。駆け足で一周しよう。ドイツの町観光は先ず旧市庁舎の建物である。そして、教会、広場、博物館化した昔の王家の大きな建物。これがドイツ名所観光の基本である。町並みは発展している。フランクフルトのようではないが、商業都市のようで、機能重視の街である。日本にありそうな町並み。ドイツでももう驚かない。アウグスティーナ教会をみるが、建設中。マルテ・マイン橋からマリエンベルク要塞を見る。時間があったら寄ってみたかったのだが。
その後世界遺産のレジデンスへ。ドイツではじめての世界遺産である。中に入ろうにも時間がない。外観だけみて、中の彫刻や絵画は次回見ることにしよう。道を聞き、レジテンスを見る。この建築家はバロック時代の天才バルター・ノイマン。大司教の宮殿。三百年近く経つ。大きく美しい建物。世界遺産なロマンティッククすごいのだろうと思うがバスに遅れてしまうと、もうどうしようもない。これが、ツアー旅行でよくある感じであろう。パックツアーは要点を確実に見られるが、それぞれにかける時間は少ない。フルコースをつまみ食いしているような感じなのであろう。
一周し、ビュルツブルグの雰囲気は分かった。早く起きた甲斐があったといえよう。バス到着予定になる。バスが来ない。もしやここではないのかも、反対側のホームか、時間を間違えたか、などと不安になっていると、バスが三十分遅れで到着。遅い。秩序を重んじるゲルマン民族、時間は守ろうね。
このバスは日本人が多い。非常に。そのために、アナウンスも日本語が混ざる。ほとんど日本人のために動いているようなものだ。ロマンティック街道をロマンティックに日本人と南下。時間が遅れているために、名所に着いても通過。アナウンスが悲しく響く。運転手は若くハンサム。そのまま映画に出ても不自然ではないくらい。
昼食はネルトリンゲンで。この街はすばらしい。中世の町並みが空襲の被害がなく残っている。城壁に囲まれた街。プラハに雰囲気が似ている。埼玉から来た大学四年生の加藤君。学生最後の夏休みを利用し、ヨーロッパ中旅をしている。ロンドン、オランダ、ドイツと入り、この後はフランスに行くとか。話しが弾む。ネルトリンゲンでは古いレストランにはいる。私は豚カツのマッシュルーム和えを食べる。ビールを飲む。加藤君はチップの渡し方を知らないらしく、結局チップを渡せず。
ドイツのチップの渡し方は、雰囲気の良い、サービスの良い店に対し、一割あげるといわれている。あげ方は、店員が
「一五ユーロです」
というとすると、二十ユーロ札を取り出し、
「一六ユーロ、五〇セントでお願いします」
と言えばよい。何もいわずに渡すと、相手は勝手に日本人からチップを取ってよいのか、と不安がると思う。勝手に取っていく店員もいるが。
その後、急いでバスに戻る。のんびりしすぎた。バスの出発時間、バスは出発。すると、誰か走ってくる。そう、置いていっているのだ。自分は遅れたくせに、客を置いていくなんていい根性しているじゃないか。危うく取り残すところを、バスを止めて、遅れた者を乗せる。
バスは一行を乗せて、南へ、南へ。外はまったくの牧場。農業の規模が大きいのは、牧場用に使用しているためだな。私の住んでいる中央ドイツにはあまり見られなかった、ワイン用であろう、ブドウ畑が広がる。後はほとんど酪農。
そして、アウグスブルグへ到着。じっくり見たいのだが、時間は三十分しかない。トイレに行き、新聞とりんごを買い込み、時間切れ。ひどいものだ。このバスツアー、二度来る人はいないであろうと思う。
今日の私の滞在地、フュッセンに到着する。この街はドイツに来てこれを見ずに帰国してはならないとされている城。しかし、フュッセンについたのが夜の八時。そこから、ユースホステルに移動。バスの中で知り合った韓国人を連れて宿泊地に行くことに。韓国語を少しテレビで見たので韓国語を話してみると喜んだ。基本的に会話は英語。英会話は慣れていない。いいたいことが文章にならないことが多い。
ユースの部屋は旅人だらけ。ここで友人を作る。なんといっても、安い(一泊千五百円)。私の部屋には韓国人と三人のスペイン人。韓国人の彼、イギリスでビジネス・アドミニストレートを専攻している。英語はなかなかうまい。よくしゃべる面白い人。スペイン人の一人は英語とドイツ語をたくみにこなす、ミュンヘンでこれから勉強するという学生。韓国人が二十五歳。スペイン人はみな二十一歳である。夜はスペインから持ってきたカードでゲームをする。盛り上がる。難しいが、ルールを説明してもらう。やっていくうちにつかめてきたが、勝てず。会話は英語が中心。しゃべっているが、ドイツ語のほうが若干しゃべりやすい。日本の大学で通訳や留学を目指す人のインテンシブ英語を一年間受講した成果か、英語は何とかできる。しかも、私は日本で英語を教えている身分である。先生が英語を喋れないで教えているのか、と文句を言う生徒の顔が頭に浮かぶ。意地でも喋らないと。
夜中まで楽しみ、朝が来る。
陽気なスペイン人たち
スペイン人の彼らとは駅でお別れ。記念撮影をする。さて、これからノイシュバインシュタイン城へ行くことにする。一緒の部屋の韓国人と、もう二人韓国人が仲間に加わる。突然会話が韓国語になる。もちろんわからない。英語でたまに通訳してくれる。
道に迷い、通りがかりのおじさんに道を聞くことに。そのおじさんは英語が通じない。そこで、私がドイツ語でおじさんに聞き、おじさんの会話を英語になおし、それを韓国人の英語の得意なものに伝える。そして、彼らが韓国語で相談し、私に英語で尋ねる。それを、ドイツ語に直し、おじさんにきく。ちょっとした通訳である。
さて、バスで城に行く。城には霧がかかり、名所の橋からはあまり見えない。しかし、秘境にそびえる歴史古き城は荘厳であり、湖が広がる景色や、すんだ空気が私を中世の世界にいざなう・・が、ここにいる人の三〇パーセント以上は日本人である。ツアー観光客の塊である。半分日本である。日本に住んでいて、せっかく海外に行ったのに、日本人に会うと残念がる人が多いが、私はドイツに今住んでいるから、あまり気にしない。
さて、韓国人と別れ、一人になる。電車に乗り、いざミュンヘンへ。バイエルンの都。今回の最大の目的ともいえよう、オクトーバフェスト。世界的に有名なビール祭り。ルードビッヒ一世の成婚を記念して百年以上行われている祭り。ここで、恐ろしい量のビールが消費される。駅に着くや否や、先ずはオクトーバフェストの会場を下見。やたら広い広場に、店や、遊園地のような施設が出来上がっている。ビールは野球場くらいの大きさのテントで飲める。みんな狂っている。ドイツ人のイメージが変わる。飲みまくり、歌いまくり、踊りまくり、叫び、抱き合いキスをし、肩を組み、また飲む。これは混ざれないな、とおもい、テントを出ることに。テントは八棟以上ある。そこでそれぞれ二千人くらいが飲んでいる。
今日の滞在場所はユースだが、特別料金が鬼のようにかかっている。値段を聞いて予約すべきだった。結局四千円近く払った。そこにいたカナダ人と仲良くなり、彼とのみに行くことに。背が高く、競技ボートのカナダの選手らしい。
いやー、飲みすぎた。コップの大きさは異常で人類が扱う食器でない。一リットル入る。それを三杯飲むことに。(平均が四から五杯らしいが)。隣のニュージーランド人が陽気に踊る。酔っ払いへビールを運ぶウエイトレスのお姉さんも酔っ払っている。英語、ドイツ語、スペイン語、フランス語が飛び交う。日本人はここにはあまりいない。探したのに。城はみても、こういった飲み会には参加しないのだ。ドイツ人とはドイツ語、ニュージーランド、カナダ人とは英語をしゃべる。しかし、通じない。音が大きくて聞こえないのと、酔っ払っているとかで。ネイティブなので早口って言うのもあるのかもしれない。夜遅くまで飲みまくる。ある曲が流れると、肩を組んで乾杯をする。楽しい。というか、この盛り上がりは異常である。日本の飲み会の規模が違う。料理もすごい。「鳥が食べたい!!」とウエイトレスに言うと、鳥を丸ごと二羽持ってくる。うまい。夢中で食べる。日本ではなんこつとかを箸でつまんで食べるのだが、規模が違う。この祭りの後、街周辺からは鳥がいなくなっているらしい。
非常に楽しいお祭りだった。もう一度行きたいが、私は留学生であるので、やめておこう。
疲れて寝る。
店員たちも楽しそう
朝、もちろん二日酔い。ミュンヘンの町を散策する。この町も私にとっては魅力的。中央ドイツとは違い、この地はドイツとは独立しているバイエルン自由国である、らしい。市庁舎も見事。住民の乗りは良い。レジテンツ博物館で豪邸を見る。彫刻、絵画、建築、すべてよし。空襲で焼け焦げた豪邸をいったい誰が復元したのだろう。絵画は写真などよりも精密で、暖かく、綺麗に王家の人々を書き写している。彫刻はほかの各王国からの贈り物。非常に手が込んであり、人類到達の限界の作品を間近に見る。感動。もう少し、見たかったが、疲れているので断念。その後、昼ごはんに。ガイドブックに「ウェイターのサービスが悪い」と評価されている店にあえて行くことに。なるほど、日本人は誰一人としていない。地元の人たちばかりだ。店員もこわそう。メニューもドイツ語のみ。しかし、実際はとてもみな親切。三十秒以内にワインが来て、五分以内に料理が来る。こんなサービスのいい店は珍しい。と、食べていると、地元のおじさんたちが、
「相席いいかい?」
と聞く。
「どうぞ」
という。すると、私の席に六人のドイツ人のおじさんたちが私を囲む。月曜日の昼間からビールを飲むバイエルン人。日本にはいないなぁ。突然会話が振られる。
「学生かい?」
「はい、ゲッティンゲンで十月より農業を勉強します」
という。すると
「Darf**、Sonst**?」
ときかれる。
「Bitte????」
と聞き返す。酔っ払い、バイエルン訛り、早口、聞き取りにくい。
その中で、こんなやり取りが。私がソーセージを食べようとフォークを探していると、
「フォークなんていらないよ。手で食べればいいよ。ドイツの王様は手で食べているのだよ」という。ここで手で食べるわけには行かないので、
「でも、私は王様ではないよ。(Aber ich bin nicht König)」
と言うと、おじさん一同声をそろえて
「Noch nicht(まだね)!」
という。面白い人たちだ。とても気に入った。私は日本人だ、というと、「たまごっち!!」と叫んでいた。噴飯!
そして、ミュンヘンから電車に乗ることに。ゲッティンゲンからは遠い。四時間くらいか。ご飯を先に食べていたために、席がすでに埋まっている。喫煙席は体が臭くなりそうなので、やむを得ずBOX席へ。そこにいた女の子。ひょんなきっかけから話すことに。彼女は私と同じ年。ハンガリー出身で、ドイツには三ヶ月目。これからいったんハンガリーへ帰省する予定らしい。専門は経済。ドイツの院試験を受けたい人。
私は大学でハンガリー語を一年間学んでいた。ほとんど忘れたが、基本的なところは覚えている。まさか、東洋人に自分の言葉をしゃべられるとは思っていなかっただろう。急に仲良くなる。挨拶や、自己紹介、少しの単語、そして、ハンガリー語の歌を歌う。その子は英語がまったく通じない。そのために、ドイツ語でわからない場合は英語で表現するという、ドイツ人に通じるテクニックが彼女には通じない。しかし、言い換えたりすれば、ほとんど通じる。
そこで、ドイツの選挙の話、両国の労働問題、ドイツの特徴、今までの経験、これから、日本の特徴、ハンガリーとの比較、文化、経済、教育などを三時間に渡り語る。彼女はドイツ語がうまい。ドイツの会社でバイトしていたからだろう。非常にいい経験になった。私のドイツ語はたどたどしく、しゃべっていることは文法的に間違っているだろうし、表現できない文もしばしばある。彼女の表現も聞き取れないこともある。そういう場合は、別の表現をしゃべり、わからない場合は、もう一度言ってもらったり、別の表現でしゃべってもらったりする。
その後、私のドイツ語うまくなったらもう一度会おう、と誓い駅で別れることに。ドイツ語をしゃべり、心地よい疲れの中、ゲッティンゲンへ帰宅。
今回の二日間の旅の成果は大きい。ドイツ人について少しでも多く理解することができたし、英語での会話の重要性にも気づき、ドイツ文化にも触れることができた。ドイツ語の会話も多くした。
旅は人生の最良の勉強である。旅行ばかりしているわけにはいかない。しかし、ドイツのこのことわざでの旅の意味は日本の旅行の意味と少し違いがある。
日本の旅行というと、観光バスで名所を回り、城を眺め、いいホテルに泊まり、いい食事をとる。だが、これは人生の最良の勉強にならないと思う。今回の私の場合で言えば、ロマンティック街道バスや、ノインシュバインシュタイン城は単なる旅行である。
一方、人生の勉強になる旅とは、異国の地、異文化で自分の培ってきた力を最大限に発揮し、新しい経験をすることであろう。そうすることにより、自分の力になる。今回の私の旅は、通訳の経験、オクトーバフェストでのドイツ人とのふれあい、ハンガリー人とドイツ語会話、韓国人やスペイン人とのカードゲームをした経験、バーンカードを忘れたときの必死の言い訳をした経験、などである。これは安全なツアー旅行ではありえない魅力である。
私のゲッティンゲン大学留学もひとつのロングタームの旅である。これから、パックツアーの様な先の見える大学生活にはない、すばらしい人生の旅が待っているであろう。