シュパールカッセとバーンカード 九月二十四日
家を出るときに、ポストを見ると、なんと日本からの贈り物が。ドイツに行く前に用意しておいた荷物である。そこには私の座右の書や、英語の辞書、専門の勉強用の本、そして、冬服一式が入っていた。ありがとう、お母さん!
ご機嫌で街へ。天気がいい。新しい冬服を身につけ、いざ街へ。今日はバーンカードを持っていないために罰金として払った五十ユーロを取り返すために、駅へ。駅へ行く間に文章を作る。今日の文章でついに「接続法第一式」を入れ込んでみる。
「昨日私はフュッセンからバーンカードなしでここまで来てしまいました。そのために、私はお金を払わなくてはなりませんでした。しかし、車掌さんが君はこの金を改札で取り戻せる、といっていましたよ」
という文章である。ドイツ語にすると、
「Gestern habe ich aus Füssen ohne Bahncard gefahren. Und dann habe ich das Geld bezahlen gemusst. Aber der Schaffner hat gesagt, dass ich das Geld hier zurückbekommen könne.」
という感じ。後から気づいたのだが、最初のhabeは移動を表すfahrenをつかっているから、binにならなきゃいけなかった。今回のポイントは最後のkönneである。Gemusstという表現も怪しかったが、何とかお金を取り戻すことに成功。
その後、銀行に行き、入手したばかりのカードを使い、お金を入金することに。しかし、何度やっても暗証番号があわない。何度もやっているうちに、「karte ist gespenst」という悲しい文字が。必死になって辞書で調べると、カードが消えた。……使えなくなった!?!すぐに窓口に行く。
「カードが使えない。暗証番号があわない。三回やってしまった。おそらく私は暗証番号を勘違いしている。教えてほしい」
というと、
「暗証番号は教えられない。もう一度契約の資料を参照してみてくれ。もう一度チャンスをあげる。明日もう一度入力してみてほしい。チャンスは一度だけである」
という。まったく、トラブル続きである。ドイツ語で
「では私が振り込んだお金はカードが無効になると下ろせなくなるのか」
とたずねようとするが、頭のドイツ語昨日が一瞬止まる。
「お金を振り込む」
の文章が頭にインプットされていないのだ。インプットされていない情報をアウトプットできないのは語学の基本である。しかし、一度誰かの明細書に書いてあったのを思い出す。
「Aus……Weisen・・?」
という。しかし、わからない。何度も
「アウスバイセン!!!あーうーす」
といっていると、銀行員
「あーー、Überweisen(振り込む)ね」
アウスバイセンは「身分証明をする」である……。
その後家に帰り、彼女に電話をする。明るい声。元気になる。旅行の話で盛り上がり、時間を忘れて一時間以上はなす。電話代はおそらく通常にかけると、八千円は行くであろう。しかし、ドイツには割引カードがある。非常に安く日本にかけられる。ネットカフェで買うことができる。二十五ユーロ(二千八百円)で五百分話すことができるのだ。一分五セントユーロ。つまり、一分六円くらい。三分二〇円しないのは市外局番より安い。というか、携帯よりも格段に安い。このカードはフリーダイアルにつなげて、国際電話につなげるサービス。日本でもほしい。
街に出るよりも、家で休養することに。共同のキッチンに行くと、鶏肉が茹で上がっている。いいにおい。ふんだんに香草がまぶしてあり、だしが利いているのであろう、おいしそう。誰が作っているのであろう。日本茶とケーキを食べながら、キッチンで待っていると、ドイツ人登場。「君が作っているの?」
というと、そうと答える。スープを作っているのだろうとおもっていると、その鳥を取り出し、鉄板に乗せる。その後ワインでやわらかくしたというアプリコットにたまねぎを加え、バターで炒め始める。塩、コショウ、謎の調味料を加え、最後にライスみたいなのを加える。それにさっき鳥でとっただしを加え、それを鉄板の上にある鶏肉に詰める。すごい。見ていて楽しくなる。そこらの料理人より腕がいいのではないか。
「君は料理マスターだね」
というと、笑っていた。一緒にごみを捨てに行き、話すことに。ドイツ人なので、ドイツ語が早い。聞き取れないと英語になるが、私はあきらめずにドイツ語で返す。九五パーセントはドイツ語の会話。しかし、喋る量がまだかなわない。ドイツ人と会話して、会話の量を負けないようにしないとね。実をいうと、かなり空腹でその鶏肉の料理を食べてみたいのだが、断念。今度頼んで作ってもらうことにしよう。彼女は四〇七に住んでいるひとで、料理は祖母と母からの直伝だという。市販のレシピを使用せずに、手際よく創っている。見ていて気持ちが良い。彼女の選考はエジプト学。大学院生。ここにすでに五年住んでいる。
「なぜエジプト学なのか?」
ときくと、
「世界情勢の問題解決にエジプト学の知識は必要になってくる。危険な地域だけど、重要な地域でもある。その道で生きていく」
といっていた。さすが大学院生。
さて、部屋に戻ると、何やら来客が。日本人の学生。安くん。どうやら九月末に引っ越す日本人がいろいろ荷物の処理に困っているとのこと。新しく来た私に荷物を譲るためにわざわざ来てくれたという。ありがたい。私の部屋にはラジオや炊飯器、カーペットがまだない。ほしいので、コンタクトを取ることにしよう。
昨日までの旅行の疲れを取るためにゆっくりした一日。そんな日もありかな。さて、
ドイツに来た理由
生活にも慣れてきて、もう二週間経つ。今まで留学をしていたというより、留学の準備をしていたということになるであろう。遅かれ早かれ結論を出さないと留学が成功しないので、はっきりされておく必要があるであろう。なぜドイツに来たのか、という疑問である。
目標が漠然とすると、そこへの取り組み、そして成果も漠然としたものにしかならない。今の時点でそれを文章で書くことにより明確にしていこうと思う。明確にした目標を元に、より見事な、すばらしい一年にするために、より成果を得るために明日から行動していこうと思う。明日が留学の初日という気持ちで新たにすごそう。
幹部生活を一編の論文になるように過ごすと良い、と空手部の監督がおっしゃっていた。ドイツの留学も一冊の本になるように、ゲッティンゲン大学の研究も一冊の本になるように、過ごしていくべきであろう。
ドイツに来た理由、今回の留学で何をするか、何ができるか
① ドイツ語が好きだから、ドイツ語を学ぶため
ドイツ語が好きで、読んでいたりドイツ語を会話したりするのが好きである。そのために、ドイツ語の合宿にしばしば参加し、ドイツ語の本を読んだりした。大学でも授業を多くとり、ドイツ語を鍛えた。
しかし、私は千葉大学文学部ドイツ語学科の学生ではない。ドイツ語を学ぶだめだけにドイツに来たのではない。語学研修会の一年コースではない。そのために、みんなが送り出してくれたわけではない。ドイツ語はうまくならねばならないが、最終目的ではない。あくまで手段である。ドイツ語の研究者や、ドイツ語の職業に就くものになるために来ているのではない。
比較:ドイツ語が好きでドイツに行きました。ドイツ語を一年間学びました。ドイツ語は完璧になりました。私の留学は以上です。
だと、坂本竜馬が剣術修行をして、剣術が強くなりそのまま帰ってくるようなものである。それは前提条件といえよう。
方法:文法は日本でも学べる。会話のチャンスはここにしかない。基本文法を先ず完璧にする。その後、できるだけ会話の機会を作る。
② 農業の研究をするため
ZLUプロジェクトを主幹校として開催するほどゲッティンゲン大学は有機農業に関してまじめに取り組んでいる。私は農業経済を学んできた。その知識を生かし、ドイツの有機農業はいったいどういうシステムで行われているのか、農業政策の面から、どういう特徴、展望、規制、法などを明らかにしていくのが、留学の目的。また、ドイツ有機農業政策を研究していく中で、研究についての理解を深める。そのために、有機農業政策を地の利を生かし、関係者から情報を集め、実際の経営者から話を聞く。その中で構造を明らかにし、問題を見出し、解決への指針を見出す。その力をつける。現地調査、訪問、インタビューの力、行動力が試される。
そのために、明日からドイツの有機農業の構造を調べる。図書館での資料探し、学科の先生への訪問、ドイツに在留している日本人の農業関係者の人への訪問、有機農業経営者の直接の聞き込み、などができる。その後、資料の整理、分析、問題提起、問題解決への道のり、日本の比較検討、(農業地理学史の読破、通読)を行う。そして、まとめ、一冊の本になるようにする。
そうすることなしには、ドイツ語のみを学んだことになる。
そのために、ゲッティンゲン大学の先生に論文のまとめ方、資料の集め方、分析の仕方、問題提起の仕方、問題解決の方法などを聞くことにする。
とにかく、今回の留学のいいところは、研究のためだけに来ているのではない。与えられたテーマを調べに来ているのではないということ。自由に大学生として研究ができるということ。ゲッティンゲン大学という舞台は文句ない。これほどノーベル賞を出す大学も例がないだろう。そこに在籍できるということ。
③ 経験を豊富にするため、価値観を広げるため、留学生を経験してみたいから
ドイツで得られる経験は、日本にいては経験できない。価値観と言語の違うものたちとの交流、異国の世界での生活、留学生としての自分。その経験により、価値観が広がり、判断基準が広がる。海外で生活できるという自信がつく。そのためには、いろいろチャレンジする必要がある。部屋にこもっていては、日本にいるのと変わらない。積極にいろいろ参加し、ドイツを知り、世界を知り、留学を知る。空手に参加するのもひとつの手である。遠い日本の文化を日本で知り、海外からも知る。これも経験を豊富にし、価値観も広げることができる。坂本竜馬が土佐藩を江戸から客観的に見られたように、私がドイツから日本を客観的に見られたらいいのではないか。
④ 卒業論文制作のため
卒論を書かなければならないが、ドイツにいる間に資料を集め、指針を定め、分析し、ある程度論理的な論文を完成させておくことが必要になろう。できれば清野先生が行ったように、ドイツ語の卒論を作成し、ゲッティンゲン大学の教授にチェックしてもらい、その後、その論文を日本語に直せるようにする。
そのためには、教授に相談、討論するためのドイツ語力の育成、ドイツ語の論文を書くためのドイツ語力(表現、語彙、文法)、まともなる論文作成のための論理能力が必要。
第一段階としては、作文をチェックしてもらうための学生と知り合いになる。ドイツ語会話をまともなレベルにする。
第二段階は受け入れの教授を探し、チェックしてもらう。アドバイスをもらい、作成について、一年間の年間計画について話し合う。
⑤ ゲッティンゲン大学の授業を受けるため
大学の授業を受ける。授業といっても、ゼミ形式の授業にできるだけ参加するようにする。大講堂の授業を客観的に受けていては、ドイツの農学部の授業のビデオを日本で見ているのと変わりない。研究室に所属し、積極的に授業に参加し、同世代の研究者仲間を作る。
⑤ 人脈を作るため
これもドイツ留学の重要なことである。研究室仲間、寮の仲間、ドイツの専門の教授、先輩、後輩、留学しに来た日本人、ゲッティンゲン大学に来た日本人研究者、大学の専門以外の仲間などなど。
<参考>
坂本竜馬はなぜ江戸に剣術修行に来たか
① 剣術をさらに鍛えるため
② 江戸に興味があったから
③ 自分の実力を江戸で試したかったから
④ 土佐を客観的に見られるようになるため
といったとこであろう。
次、坂本竜馬の土佐藩脱藩したのは何のためか
① 土佐藩が人生の舞台ではないため
② 江戸幕府に日本を任せて入られないという危機感から、何とかしないと、と思ったため。
③ 自分が人生の大芝居がいつでもできるように、広い日本という舞台でチャンスを待つため
最後に、坂本竜馬が人生の大芝居をし、それを成し遂げ日本を救った要因
① 勝海舟にあい、弟子になったから
② いつでも興味があるところに飛び込んでいったから
③ 人望、やさしさ、人を引き込む力
④ 独自の価値観、物事に流されない広い視野
⑤ 行動力
⑥ 運
⑦ 時勢が竜馬を必要としたから
というところである。
明日はプリンターを買いに行こう。プリンターなしでは研究に差支えがあるであろう。筆記用具もある程度そろえなければならない。必要な資料を借りよう。ドイツの教授に会うために、下調べとして、インターネットで研究室の情報を取り出そう。研究計画を具体化しよう。具体化したのを菊池先生にチェックしてもらおう。語学パートナーを探そう。