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クナップ『貨幣の国家理論』の要約(ティモワーニュのXポストより、2024年2月22日)

 MMTの経済学者のエリック・ティモワーニュ経済学准教授(オレゴン州の私立大学ルイス&クラークカレッジ)によるクナップの『貨幣の国家理論』の要約を下記のとおり紹介する(原文はティモワーニュのX(旧Twitter)での投稿から。本文中の太字は、訳者によって付したもの)。


 クナップの『貨幣の国家理論』を簡単にまとめると以下のとおり(為替に関する内容は省略)。

1.使用する勘定単位支払手段が同じ支払システム(「支払社会」)と、両者が異なる支払システムが存在する。銀行と国家がその代表的な例だ。国家は「最古の支払人社会」を有している。

2.「貨幣は常にカルタ的(Chartal)な支払手段の表れである」(カルタ Charta=法的な意味合いを持つトークン(引換券)やチケットのこと)。銀行が発行するのは民間のカルタ的支払手段であり、国家が発行するのは、国家のカルタ的支払手段である。貨幣は、重さ(「重量測定性 pensatory」)ではなく、物語(「カルタ性 chartality」)によって流通する。

3.国家は、国家が発行していない支払手段をその支払システムに受け入れることができる。こうして、民間銀行券は「(国家の)通貨システムの一部を形成」し、その流通範囲を大幅に増大させるというのがクナップの指摘である(注:クナップは、国家による受領が貨幣を定義すると言っているのではない。貨幣の定義は上記2のとおり)。

4.クナップは高価な素材で作られる支払手段に反対しているわけではない。そうした支払手段が便利とされるのは、「(1)国家及びその法律が滅亡した場合に、そのカルタ性の消滅から支払手段の保有者を守るため、(2)(より重要な理由として)対外貿易で国外で使用する貨幣を持つため」という2つの理由からだろう。

5.支払手段は商品・サービスに対する債権ではなく、支払手段の発行者に対する債権である。銀行券の場合、その所有者は銀行に対して債権を持つ。この債権は、所有者が換金を請求する能力と発行銀行への支払いを履行する能力を通じて発生する。(これは、銀行が「その金額の支払いを受領することを誓約」しているためである。)

5b.国家が発行する支払手段は、「国家が公的な支払機関で額面どおりその支払手段を受け取るという立場を維持」していれば、兌換できなくても額面どおり流通する。

6.名目主義が法律において支配的であるため、債務者が負っているのは帳簿上の数字だけであり、この数値の合計額は購買力としては未確定である。〔未確定というのも、〕例えば、2012年に100ドルを借りて、それでフェラーリを10台買えたとする。2022年には、100ドルではピーナッツ1個しか買えない。借り手が借りるのは100ドルのみだ。デフレになった場合も同じだ〔=同様に購買力は変化する〕。

注:上記6及びこれに関連する議論から、「クナップには価値についての理論がない」(暗にインフレ論者である)といった批判があるが、それは不正確な批判だ。この点については、フォン・ボルトキエヴィッチ〔19世紀ロシアの経済学者〕による以下の論評が極めて的を射ている。「クナップの同書が価値論に関心を払っていないのは、価値論が同書の本旨ではないからだ。」

終わりに、さらなる発展的議論については、オリヴェクローナ〔20世紀スウェーデンの法学者〕の『Monetary Unit(貨幣単位の問題)』を読んでほしい。)

追記:金融経済学者のもう一つの偏向はこうだ。「上記6で言われていることは単なる法律上の議論であり、経済学ではない。割当、生産、分配における名目的な結果とは関係がない。経済学が扱うのは「現実」であり、それ以外は「幻想」である」と。だがそれは違う。金融力こそが重要なのだ(支払能力と流動性は名目的な概念である)。


 以上のティモワーニュによる要約のとおり、クナップにとって貨幣とは「法的な意味合いを持つトークン(引換券)やチケット」による支払手段のことを指す。

 クナップはラテン語の「charta」(カルタ)という言葉を使って、「chartal」という形容詞等を作った。昔の日本語訳ではchartaを「表券」と訳したが初見でその意味は伝わりにくい。実は、chartaはポルトガル語のcartaを介して日本では遊びの「かるた」(歌留多)になったとされている。chartaの原義は「」だ。

 もちろん貨幣は「紙でなければならない」わけではない。あくまで貨幣が金や銀といった高価な素材出なければならないという考えに対して、「紙でもいい」「価値のない素材を使ってもいい」ということが重要だ。法的な権利を証明できれば素材は何でもいい。これがカルタ的な支払手段、つまり貨幣である。ここでいう法的な権利とは、貨幣の発行者に対する債権である。そしてその債権/債務が指すものは詰まるところ、帳簿上の数字に他ならない。

 「国定貨幣」といった日本語で誤解する人もいるが、貨幣は国家だけが発行するわけではない。民間の銀行も発行している。クナップは次のように書いている。

国家による発行かどうかを境界標識としてはならない。そんなことをすると、場合によっては一番重要な銀行券という貨幣種類が排除されるからだ。…もっとも現実に合うのは、国庫への支払で受領されることを標識にすることだ。つまり、国庫への支払ができる支払手段はすべて国家の貨幣組織に含まれる。…ここで受容と名付けるものが境界を決めるのであって、発行が決めるのではない。

小林純、中山智香子訳『貨幣の国家理論』、日本経済新聞、p.97〜98

 貨幣はある額面(数字)の債権を証明するトークン(カルタ)の性質を持った支払手段であり、国家も銀行も発行できる。そして、国家が貨幣の最終的な受け取り手になると、その貨幣は国家に広く流通するようになる。この過程で、貨幣の素材は関係がなく、兌換の約束も必要ない。上記を更に短くまとめるとこのようになるだろう。

以上

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