ワンマンライブだってさぁ〜!!!!①
GOENDz ONEMAN LIVE "それでは各々抜かりなく"(以後ワンマン)を終え、早二週間が経とうとしている。
切り替えはしているが、余韻は抜けてない。
風の噂にうちのミアがベースを背負いながら、滑り台を逆走して転けたらしい。
当たり前だと思うし、脳溶けムーブである。
多分メンバー全員が楽しかったからだと思うし、より一層団結力が増した。そんな気がこの前の練習をした時にふと中央を向きながらみんなで、演奏してた時に感じたのだった。
感想をなぜ書けなかったかというと、ワンマンに対して"フラット"なモチベーションであったからである。
どういう意味かと言うと、例えば習い事とかをしていた人とかなら分かるだろうが、ちょっと試験で合格した(その時はちょっとしたって思ってないだろうけど)感じ、
習い事をしていない人の為に言えば、お使いを頼まれて難なくクリアしたらお駄賃として、1000円くらい貰った(結構大きい額)くらいの感じだ。
最初から習い事をしていない人の為の例えをすれば良くねえか。
それが何故そうなったか、そしてその後どうなったか、今後どうするかなどちょっと長くなるGOのブログにどうかお付き合い願いたい。
フェーズ1:大無職時代
おせち料理の偉大さ
タンクトップ
ギャルマインド
フェーズ2:自分故に
1.おせち料理の偉大さ
ワンマンへの実感が湧いたのは無職になってからだと思う。
2022年年末、自分は無職になった。生まれて初めて職無し、実家暮らし、彼女無し、バンドマン。
職業:バンドマン、の誕生でもあった。
辞職理由については自分の怠惰であった。怠惰になる前に上司のネチネチした人間性、仕事内容の伝達不足、または管理不足などごちゃごちゃあるのだが、理由は色々あるにせよ、怠惰を働かせたのは自分だ。
それにより自分はクビにはならなかったたものの、減給があった。ただそこからは不当な減給があった為に辞めさせてもらった。
まあでも俺が悪い。
そして既にライブは決まっているのが何本かあり、
「おいおい、ノルマは払えるのか?」
「ワンチャン、死んだな、こりゃ。」と
1日、2日、お正月のお布団の中で少し塞ぎ込んでしまった。実家暮らしが功を奏し、生きていく事は出来た。
初めておせち料理に感謝した。
おせち料理は飽きるから、普通に食べても、とんでもない量食べた気になるので、腹を満たすには充当である。
多分あるあるだが今までは文句を言いながら
「おせち飽きたあ〜」「マック食おう〜」など抜かしていたが、
「おせち最高。」「おせち感謝。」
まである。
また、おせち料理になってくるとそこまで家族にかける負担が少ない。(元々お正月は主婦が楽する為におせち料理がある)なのでラッキーだった。
なので三が日は何食わぬ顔で乗り切った。仕事は探さなきゃいけない。
おせちには色んな意味があるらしい。
とりあえず、金運呼ぶ錦卵の代わりの卵焼きを3日間、口一杯に頬張ったのは覚えてる。
2.タンクトップ
2日間塞ぎ込んでいたおかげか切り替えることが出来た。テレビ番組がお笑いが多くて救われた。またお笑いが好きになってしまった。
やっぱりネルソンズの和田まんじゅうが面白いって事だけ、ここに言い残しておきたい。
ネルソンズのタンクトップ、丸坊主、デブ、メガネ。めちゃくちゃ悪口みたくなっちゃったけど僕が好きな要素がいっぱいである。
太った男性のタンクトップは本当に面白い。
ただ最近は白Tが多い。
ネルソンズだと新幹線が面白い。
同じタンクトップ太り芸人に空気階段のもぐらもいるが、その空気階段のトイレってコントも面白い。
意味のない話だと思うが、白いタンクトップには誠実さを覚えたって話を言いたい。
初めての無職なので職安に行った。周りはやっぱり事務的な雰囲気。町役場に似ている。
そこで対応してくれたのが、シャツからタンクトップが透けているの中肉中背の男性だった。下着が透けているタイプの人はやはり真面目なんだろうなと思う。
ペンもマッキーや赤ボールペン、2色のマーカーすら、太いのは自分向きにしていてきちんと揃えていた。やはり綺麗好きだ。
ただワイシャツから透けるタンクトップは気にならなかったのか。
人間ってとっても不思議なんだ些細な汚れは気になる癖に、そういう服装の乱れとはならないが相手を気にならせてしまう服は着るのか、まあでも周りに働いているおじさん達もそうだったら気にならないか。
とか色々考えたけど、話し方、対応の仕方、どれを取っても非の打ち所がない素晴らしい対応してくれたので自分も将来に希望が持てた。
こういう人がここで働いてくれたら、職には困らないなと。
それだけお仕事や人の為に全力になるなら服くらいダサくても良いな、なんて思ってしまった。
そういえばワンマンがあるなあくらいにしかこの時は思っていなかった。
3.ギャルマインド
ギャルは全ての始まりだと言っていいほど、人間の心の闇の全てを救ってくれる。
男勝りとでもいうのだろうか。バイト先の店長や、僕のサイゼリヤでの先輩がその毛色が強いのか、この無職の僕を救ってくれたのだった。
おかげで大無職時代は2週間で終わった。
教えてもらった事は「助けて」と言えば助けてくれる人がいる事。
ギャルはこぞってこの場面「むり。」って言う。ちゃんと言う。
相手もそれ程自分の事を考えてない事。
考え過ぎというよりか、気にし過ぎの自分にしてみればその点が理解出来た点で、この2週間は有意義で且つ本当に人生においてのターニングポイントになったと思う。
ギャルは見た目のギャル度も大事にしているので(メイク全般、まつ毛の長さとか、ネイルとかなど)
毎日自己ベストを叩き出す。ダメなら「最悪。けどしゃーない。」
それがこの世の全てな気がした。
自分は効率的などと言葉を使って相手を利用とするような馬鹿である。
人生における効率的な事など存在しない。人間は資材や機械じゃない。資材や機械すら人間が作っている。
ギャルはコミュニティを普通の社会で広げるにも難しい所があるので生きる為の力が凄い。そもそもコミュニティや、実力を付けるためには現場至上主義でしかない。頭でっかちにならないのがギャルなのである。なれないってのもある。
そしてそこにいる、一緒に働いている、そばに居てくれる、その人が全てだ。
少し頭が良いみたいな、ゴー・クズ・マインドを持っていると、やってくれるのが当たり前、何でそれやらんの?と自分のことばかり考えているのだ。普通に良くない。
それを肌で感じた。自分をそうやって扱ってくれる事が本当に嬉しかった。
自己ベストを叩き出し方は自己だけを突き詰めないってことなのだと思う。
フェーズ2:自分故に
ワンマンまで2ヶ月を切った頃、全くもって自分の言動が言っている事とやっている事が一致していない。と友人に言われてしまったのだった。
普通に喧嘩をしている流れでそうなった。
自分は喧嘩をしない様に生きてきた。人に嫌われない様に生きてきた。
理由は小学校いじめられてきたからである。きっかけはいつだって自分だった。
よく思い出したのはいじめっ子の体重が100kgを超えているという小1っぽい嘘を友達に言った所、それが周りにまわっていじめっ子に行き届き、自分に回ってきた。
悪口は言ってはいけない。とちゃんと理解出来ていなかったのだった。友達の作り方を間違えた。人を貶して出来るわけがないのだ。
それからというもの、自分の机が下駄箱にあったり、渡り廊下の真ん中にあったりと、まるで後世に語り継がれる現代アートみたいに逆さになっていたりと、忙しくいじめられていた。
とうとう、6年間(小6後半はもはやいじり)いじめられ続けたのである。
自分はいじめられていて当然だったのだと思う。
余計な事を、こうやってブログすら変にこだわり過ぎて遅くなる事も「余計な事」なのだと思う。
自分に自信がなかったから変に飾ろうとしたから時間やお金や苦労がかかるのだ。
一つ一つ、言動を揃えて正していくことに専念したのだった。
とここまで人生のことを語っている。
少し恥ずかしいが遅くなったので公開します。