「何かしなければ」に縛られた日々|その正体と向き合い方
止まらない「何かしなきゃ」という気持ち
ふと気づくと、私は常に「何かしなきゃ」と思い続けている。
家事をしながら耳では自己啓発のラジオを聞く。
トイレに行く時もスマホを持ち込み、手が空いていれば誰かに電話をする。「何かをしていない自分」を許せないかのように、何かしらに手を出している。
この「何かしなきゃ」という気持ちは、どこから来たのだろう?
そして、本当に何かしなきゃいけないのだろうか?
今回は、その正体について考えてみたい。
過去を振り返って見えてきた「何かしなきゃ」のルーツ
私の「何かしなきゃ」は高校卒業後、働き始めた頃に芽生えたのかもしれない。
当時、大学に進学した友人たちが自由に遊びながらも良い就職先を目指している姿を見て、「自分は何をしているんだろう」と焦りを感じた。
その後、仕事を辞めて上京するという大きな決断をした。
上京した頃はモチベーションが高く、時間を無駄にしたくない一心で、休みの日も本を読んだり、自己投資になることに時間を使った。
サッカー観戦が趣味だった私が、上京を機にそれさえもやめたくらいだ。
しかし、いつからか「頑張ること」が目的化していたことに気づく。
上京した自分を肯定するために、「何かをしなきゃ」と無理に動いていた部分もあったのだと思う。
「何かしなきゃ」の正体とは?
「何かしなきゃ」という気持ちは、いくつかの要素が絡み合った複雑な感情だったと気づいた。
以下にその正体を整理してみた。
①「もっとできる自分」でありたいという願望
過去の成功体験や、自己を高めたいという向上心が根底にある。
「自分はもっとできる」という信念が、行動の原動力になっている。
②「自分の価値を証明したい」という承認欲求
自分の力を誰かに見せたい、認められたいという欲求。
副業などを通じて「自分にもこんなことができる」と証明したい気持ちがある。
③「時間を無駄にしたくない」という価値観
「もったいない」という感情が、「何かしなきゃ」を後押ししている。
特に「今しかできないことをやりたい」という焦りが大きい。
④「未来への不安」からくる焦り
子どもが生まれる、年齢を重ねるなどの環境の変化が、「今やらなければ後悔するかもしれない」という気持ちを強めている。
何かしなきゃ……でも、何をすればいい?
時々、早起きして日記を書き終えた後、何をすればいいのか分からなくなることがある。
映画を見たりリラックスして過ごせば良いはずなのに、それをしていると「またサボってしまった」と罪悪感を覚えてしまう。
そんな中で気づいたのは、
「何をしてもいい時間」をあえて設けることの大切さだ。
何もしない時間を決めておくと、その間は何をしても罪悪感を感じずに過ごせる。
結果として、充実感を持って他の時間を過ごせるようになった。
挑戦と向き合う:目的を見失わないために
副業や自己啓発に取り組むと、やった後に満足感を感じることは多い。
ただし、それが本当に楽しいかというと、必ずしもそうではない時もある。
副業の目的が「稼ぐ」だけでなく、「誰かに自分の価値を感じてもらいたい」という承認欲求にも結びついていると気づいた。
たとえば、noteの記事が誰かに読まれ、それに価値を見出してもらえた時は、お金以上に満足感があった。
一方で、やみくもに行動しても意味がないことも理解した。
何をするにも、その行動が「自分にとってどういう意味があるのか」を問い直しながら進める必要があると感じている。
最後に:これからの自分に向けて
「何かしなきゃ」という気持ちは、向上心や未来への希望の表れでもある。だからこそ、その感情を否定せず、うまくコントロールしていきたい。
今後は、「何かしなきゃ」に縛られるのではなく、「これをやりたい」「これを試してみたい」と思えることにフォーカスしていく。
そして、自分の中で「頑張る時間」と「リラックスする時間」をしっかり分けることで、無駄な罪悪感から解放されたいと思う。
「何かしなきゃ」の先に、自分にとって本当に満足できる時間を見つけられるように、これからも模索していきたい。
From ゴエモンぱぱ🏯🌸🍃