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いい人とは。|私は悪い人?

「いい人」とはどんな人だろうか。

先日電車で転んだおばあちゃんがいた。何人もの人が手を差し伸べていた。
そんな人たちを「いい人」とするのであれば、私は「悪い人」なのかもしれない。


昔からそうだった

学生の頃、大雪の日に車の助手席に乗って信号待ちをしていたときのこと。

横断歩道を歩いていたおばあちゃんが足元を滑らせて、後頭部から転んでしまった。
目の前で見て何もしない私に母が「行ってきて!」と言ったので、急いで車を降り、おばあちゃんの元に向かった。

幸いにも怪我はなく、そのまま普通に歩いて帰っていった。


なぜ私は何もしなかったのか?

転んだおばあちゃんのことは心配だし、力になれるなら助けてあげたいと思う。でも、そのとき私は何もしなかった。

「なぜ私は何もしなかったのか?」
この機会に言語化してみようと思う。

恥ずかしい

一つ目は「恥ずかしい」という気持ちだ。

「知らない人に声をかけるのが恥ずかしい。」
「声をかけて無視されたり拒否されたらどうしよう」
と考えてしまう。

自分が責任を負いたくない

二つの目は「自分が責任を負いたくない」という気持ち。

助けにいった時に気を失っていたり、出血していたらどうしよう。
何もできないという不安や、自分の行動のせいで症状が変わってしまったらどうしよう。
という気持ちがある。

そんなリスクがある中で、迷いなく助けられる人たちは、きっと「いい人」なはず。

どうやったらおばあちゃんを助けられる人になれるのか

とはいえ、おばあちゃんを助けたい気持ちはあるし、助けた方がいいと思います。
どうしたらおばあちゃんを自然に助けられる人になれるのか、考えてみようと思います。


恥ずかしさを克服する

  1. 他人は思ったほど気にしていない
    周りの目が気になるとき、「自分が注目されている」と思いがちだが、実際には見られていない。仮に恥をかく行動をしたところで、その瞬間は注目されて恥ずかしい思いをするかもしれないが、すぐに誰も気にならなくなる。
    むしろ良いことをするのであれば、変に恥ずかしい思いをする必要もないのかも。

  2. 徐々に慣れていく
    他人に声をかけるのに抵抗があるのであれば、まずは店員さんに挨拶をするなど、日常で気軽に声をかける練習をしてみても良いかも。日常生活で慣れていくことで、知らない人にも気軽に声をかけられるようなる気がする。


責任を負わない気持ちの克服

  1. 1人で対応する必要はない
    誰かを助けるために、周囲に助けを求め、他人の力を借りることもできる。
    責任を自分1人で追わずに周りと協力することで、必要以上には責任を感じることなく行動できるようになるかも。

  2. 専門的な措置をする必要はない
    援助の間に専門的な知識や対処は必要ではない。
    声をかけ安心させたり、助けを呼ぶだけでも十分だと思う。
    声をかけた人が皆、専門的な知識があるわけではないし、むしろ、ない人の方がほとんどだと思う。

おばあちゃんを助けた人は本当に良い人?

おばあちゃんを助けたAさんは良い人だろうか?

例えばAさんが路上で喫煙していたとする。
しかも妊婦さんの近くで。

それでもAさんは良い人だろうか?

何が言いたいかというと、
人には「良い面」と「悪い面」があり、おばあちゃんを助けた場面は「良い一面を見ただけ」ということ。

誰にでも良い面と悪い面がある。
私だって、人の肩にぶつかって舌打ちされたこともあれば、おばあちゃんを助けに行かなかったこともある。
かと思えば、妊婦さんに席を譲ったり、ボランティア活動に参加したりもする。

人には良い面と悪い面があることを前提に考え、
悪い面は「人間だもの」と受け流し、
良い面を見た方が自分自身も幸せに生きられると思った。

まとめ

・一面を見ただけで良い人か悪い人かは判断できない。
・人には良い面と悪い面がある。
・悪い面を見たら「人間だもの」と受け流し、良い面に注目しよう。

この記事の執筆中に、重い荷物をもって階段を登っているおばあちゃんに遭遇し、声をかけて荷物を持ってあげることができました。

From ゴエモンぱぱ🏯🌸🍃


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