エンターテインメントの世界
エンターテインメントの世界には、面白い人、歌の上手い人、顔の美しい人、キャラが立っている人、場の雰囲気を作れる人、絵の上手い人、物語のを作るのが上手い人、演技が上手い人、頭のいい人など、「魅力的な人」がたくさん活躍している。スポーツも広義のエンタメとすれば、テクニックややスピードやパワーに優れ、組織的な動きが巧みな「優れたプレーヤー」がたくさん存在している。そして人々は、彼ら彼女らのパフォーマンスを見ることを娯楽として、気晴らしをしている。エンタメは肯定的に捉えられる。誰もが、エンタメを楽しみたいし、自分もエンタメ的な活動をしたいと憧れる人も少なくない。だが、そこには落とし穴もある。たしかに、「魅力的な人」「優れた人」は素晴らしいし、見る側にある種の喜び、快楽等を与えてくれる。好かれるのも当然で、実際に会えばサインを求めたりもする。一方で、世の中に生きている人の大半は、「あまり魅力的ではない人」「あまり優れてはいない人」なのである。わたしもまた、どちらかといえばそのようなタイプの人間の一人である。そういう平凡人たちは、社会の中で「大活躍」していることはまれである。たまに何らかの「活躍」をすることもあるかもしれないが、大半は「イマイチ」か「失敗」な言動を繰り返していたりする。周りの人間や社会に負担をかけたり、迷惑をかけてしまうことも少なくない。エンタメ界で活躍する「魅力的で優れた人々」と、一般社会で活動する「平凡人たち」とでは、もちろん前者の方が好かれており、憧れられている。平凡人が憧れられることは稀で、好かれると行っても家族や親族や友達に好かれる程度で、嫌われていることもある。
何が言いたいかというと、エンタメ中毒になってしまうと、平凡な生活が色褪せて見えてしまったり、平凡人たちが「取るに足りない価値の低い人」に見えてしまうようになる危険性があるのだ。だが、忘れてはいけないことは、現実の生活はこの「平凡な人々の織りなす平凡な世界」の中にあるということだ。平凡な世界の中で、他者と関係を結び、同じ人間として思いやりを持って接したり、たまに心を通じあわせたりすることが、とても大切なことなのだ。むしろ、そういうことをするために、この平凡な人々だらけの平凡な世界に生まれてきたと言っても過言ではない。優れて魅力的な人々のエンタメ界、スポーツ界などは「夢の世界」である。それはたまに覗いて、楽しんで、気分転換をするための世界である。世界の実体は、「平凡な人々の織りなす、平凡な世界のなかにある」これを忘れてはならない。