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ハチ公、人生は七転び八起きだ。

昔の嫌な記憶だったり不都合な事実に対しては

完全に蓋をして仕舞って深海に沈めるタイプなんだと思います……

過去のトラウマとういものは厄介なもので

今でも不意に思い出したりすると酷く落ち込むことがあるし

全くと言っていいほど寝れないときもあります

子供の頃のトラウマと大人になってからのトラウマの合わせ技ですね

Twitterで友達になった方々が赤裸々に過去の自分と向き合っているのを見て

本当にカッコよくて素敵だなと思っていました

私もそうしないと睡眠が浅いのも直らないんだなぁと感じたので

蓋をしていた自身と向き合うことにします

どこまで思い出せるか、思い出していいのか

全然わからないのだけれども

過去の記憶、深海からのサルベージ。


父は子供ながらにすごく怖かった記憶があります

「はぁーっゴン」のゲンコツは当たり前

手加減はしていたけど子供だから本当に痛かった

殴られるにも準備期間がある「はぁーゴン」は子供ながらに理に適っていると思っていました

大きなげんこつが落ちてきて頭の骨に当たるまでの時間


あー、私が悪いことをしたんだなぁって


巨樹の木陰で上を見上げていたら大きな幹が覆い被さってくるような感覚

あんまりにも聽かない子なので真っ暗な小屋に何時間も閉じ込められたこともありました

今でも狭くて暗い場所は苦手です

お祭りなどのガヤガヤした人混みや満員電車も嫌い

自由に身動きが取れないことに耐えられません

広い場所や開けた場所、キラキラした空間や海、川、山が好きです


小学生の図画の授業のときに

絵の具で描いた「スイミー」の絵

美術の先生の推薦で学童コンクールに出品されて入賞を取ったとき

母は「東京の方に作品持っていかれたから返ってこないんだって!!」と本気で怒っていたのがすごく誇らしく思えました

私は真顔でしょうがないよねって言っていたと思います

実家はひいおばあちゃんも含めた大家族で

家族での外食や旅行をした記憶はほんの数回

裕福な家庭では無かったけれども

それを感じさせないように育てて頂いた両親には心から感謝しております


物心がついたのは小学校4年生

多分そのくらい

小学生のイジメというものは酷く残酷なものです

真赤な半透明の奇麗な下敷き

オネダリして買ってもらった少し厚めの新品の下敷きです

母は勉強道具は少し高くても我慢して買ってくれていたんだと思います


いってきまーす

いつもどおりウキウキ気分で登校して

重いランドセルを下ろしたときに

背中に羽が生えたようになる感覚が好きでした

そのランドセルから教科書やノートを取り出してカバンを軽くする

木の天板で出来た鉄臭い机に勉強道具を片付ける

いつもと同じいつもの行事

いつものように授業をして

いつものように給食を食べて

いつものように昼休みを過ごして

いつものようにチャイムが鳴ってから始まるはずの午後の授業 


でもこの日は違ったのです。


なぜかお気に入りの買ったばかりの下敷きが無いのです。。。

なんでだろぅ。。。


ふと視線を感じて左を見ると

逆光に照らされて真っ白なつり上がった両目でニヤニヤしながらこちらを見る悪ガキ二人組


「私の下敷きどこに隠したの?」


「しらねーよ、机の中にあるだろう。」


振り返って見ると焦げ茶色の木の机がなんだか酷く邪悪なものに見えました


ランドセルを重くしていた原因の紙の塊を

急いで鉄臭い場所から次々に引き出して

茶焦げた天板の上にバタンバタンと置いていった

両膝をついて真っ暗な枠の中を恐る恐る覗き込む

一見何も無いように見えたけど

冷たくてヒンヤリとした空間に手を入れてみたら

細かくなった綺麗だったはずの下敷きが出てきた……

鋭利な金属でランダムに切り取られて。。。


怒りよりも


どうやったら繋げられるのか……

奇麗な下敷きを買ってくれた母にゴメンナサイという気持ちのほうが強かったのです

多分泣いていたと思う

次第に沸き上がってきた怒りをその二人組にぶつける

「下敷き壊したのだれ」

「しらねーよ、お前が自分でやったんだろう」

「昨日の夕方からそうなってただろうニヤニヤ」

怒りに震えながら誰にも言えずに我慢した

彼らは私が誰にも言えないことを知っているんだ

何故私が、ターゲットになったのだろう

そう思った


同じクラスには親友と言える友達も居なかったし多分ずっと一人だったから……かな


子供の世界はとても残酷です


これだけじゃなかった


鉛筆が折られたり


定規が折られたり


傘が折られていて濡れて帰った日もありました


捕まえたら殴るからなと言って歩いて追いかられる遊びも私にとってはすごく怖かった思い出です


破壊行為も誰がやったのかわからないから先生にも言えず我慢した

親には無くしたって言って嘘をついていました

ゴメンナサイ


助けてくれた友達は居たのかもしれませんが

笑って見ているか、何をしているのかわからずに不思議な顔をして素通りする子が殆んどだったと思います

次第に人目が気になって

どうしょうもなくて

そんな自分がすごく嫌になって

自由に出入りできた学校の屋上に入って

澄み切った奇麗な青空を見てから

胸の高さ程ある幅150mm程度の校舎のフチに立ったこともありました

ここから落ちたら悲しんでくれる人何人いるのかなぁ

どうなるのかなぁ

グラウンドの遊具で楽しそうに遊ぶ子どもたちを

気を付けの姿勢で空から見下ろして

現実的じゃないなぁ

そう感じて後ろにジャンプして屋上に着地しました

その時は死ぬことに対しての恐怖や罪悪感は1μも無く死んだらどうなるんだろうという興味のほうが勝っていたのだと思います

「死」についての道徳も子供のうちにしっかりと教えておくべきです


悪質なイジメから心が救われたのは素敵な先生との出逢いがあったから

クラス替えで悪ガキとも教室が離れたこと

多分この二つ


高学年になり他のクラスでもそのふたり組はかなり問題になっていました


私だけだと思っていたけど他にも被害者が多くいて自分だけじゃなかったんだなぁとホッとしましたが

責任転嫁のようなこの思想はよくない考え方です

そのふたり組に対しては

かわいそうな人間達だなぁと感じたのを覚えています


中学生以降はもう大人

夢のような曖昧な記憶は殆どなくて嫌なことがあっても噛み砕いてそれなりに処理できるようになっていました


大人になっても刻まれた嫌な記憶は頭の片隅に残っていて消えないし

それなりに保守的になってしまい

なかなか変えられないものですね

本当にそう思います

だからこそ変わろうとしている人は魅力的に見えて素敵に見える

自身が持っていないものを持っている人に惹かれる

変わらなきゃ

変わりたい。

今はすごくそう感じています


困って道がわからなくなったとき、誰かがそっと手を差し伸べて、光の橋をかけたとき、その人に勇気があれば。。。甘えることができれば。。


記憶というものは

悪いことを鮮明に刻み

楽しいことを水に浮かべ

黒色が交じることで全てを染めてしまう


私はまるで水槽の中で泳ぐ魚のような存在でした


だけれども素敵な出会いがいっぱいありました

よく周りを見渡してみたら

そこは真っ暗な深海ではなくて

青くて広い奇麗な海だったことに気が付きます


閉じ込めていたのは自分自身


飛び出そうと思えばいつでも飛び出せる


変わらなきゃ


変わらないと。



ツイッタランドの皆さん

とてもふざけた私ですが

これからもどうぞ

お付き合いよろしくお願いいたします


疲れたときは疲れたと言って

楽しいときは楽しいと言って

困ったときは困ったと言おうと思います

ありがとうと感謝の気持ち

大切に。


ハチ公、命大事に、楽に行こうぜ😏👍


GODsuÑ



おわりw


NANA ハチ公、人生は七転び八起だ。






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