振り返って見る
これは絵の呪いなのかなぁ?
夜が明ける前の清寂した空気がそんな言葉を運んでくる
そう思えるくらい絵を描いてる
いつもは長く続かないのに
絵描き用の液晶タブレットの前に座ると
自分が自分じゃ無いような感覚に陥って
陶酔しながら絵を描いている
まだ誰にも話したことない自分のお話しをしようと思う
絵を好きになった理由わかりました。
幼稚園や小学校には強い個性を持った色々な子供がいました
その中でも私は他の子に比べ少し違っていたのかもしれません
小学校に上がるまでは
動き回り
馴染めない
色々なことをする
結構問題児だったなぁと思います
裸足で園を脱走して一人で家に帰ったこともあったそうです
大事件ですね
他の子と同じことをするのがとにかく嫌で
みんなが〇〇ごっことかおままごと遊びをしているのを見て
何が面白いんだろう
そんなふうに思っていました
内心は皆と遊びたいのに遊び方がわからない
そんな子供だったのです
雪が厳しい冬はもっぱらの部屋遊び
ひいおばあちゃんには昔のいろいろな遊びを教えてもらいました
今考えると
あんなに幸せな時間はもうないんだなぁと思うと
少し涙が出てきます
兄妹がそれぞれで遊べることといえば画用紙への落書き
画用紙が無くなると色鉛筆やクレヨンでツルツルしたチラシの裏面に
迷路や絵を描いて遊んでいたのを覚えています
特に迷路は紙の縁いっぱいになるまで書き込んで皆で楽しく遊んだりしていました
なにもないから何か遊びを探して工夫する
居間はいつもゴミだらけ
塗り絵が手に入るとキャラクターの原画を無視して好き勝手に色を塗ったり余白に何かを描いて使い込んでいたのを思い出します
、、、、、、、、、、
小学校5年生のときです
戸田先生
体育会系のカッコいい大人のひと
生徒たちから人気があり明るくて優しくて面白くてとにかく楽しい先生
ある日
授業中つまらなさそうにしている生徒たちに気がついたのか
先生はこう言いました
今日は勉強教えるのが面倒くさくなったから
皆でこれからドッジボールをしよう
立ち上がって両手を上げて屈託のない笑顔になる子供たち
心から喜ぶ子どもたちを見れるのが彼は嬉しかったのだと思います
授業をしているほかのクラスを横目に体育館へ移動
子供たちに混じり子供以上に楽しそうに遊ぶ先生
女子にも全力で容赦なくボールをブツケてくる
こわかったけどみんな笑顔で痛がっていたのは忘れられません
いつも先生が生徒全員を倒して終わるドッジボール
皆でゲラゲラ笑いながらやる先生公認のサボりは本当にたのしかった
5年生の冬
冷凍庫の様に寒い体育館でまたクラス全員でボールをぶつけ合う遊びをしていた
先生と松くんの一騎打ち
松くんは先生に負けたくなくて一生懸命に練習したんだと思う
戸田先生が全力で投げたボールをクラスで初めて受け止めた松野
湧き上がる歓声と嬉しそうな先生
松、お前の番だ
松くんは必殺技の横から投げると速いんだよを繰り出し
先生に向かって鋭いボールを投げた
それを真剣な顔で受け止める戸田先生
次は全力で足めがけて鋭いボールを投げ返した
足を狙ってくる事を知っていた松くんは
膝の位置に飛んできたボールを低い体制でキャッチした
ボールを抱え取ったときに聞こえる「 ドフッ 」っという重低音の少し後に
クラス全員が立ち上がって大声援を贈った
戸田先生をやっつけろ!!
勝敗結果は言うまでもなく先生の勝ちでしたが
教室に戻ってから生徒たちの視線を集める中で
黒板左端の真っ白な窓際で戸田さんはこう言いました
今日は俺の人生で一番嬉しかったことと
一番悔しかったことを一度に経験することができました
こんな経験できたことに先生は感謝しています
俺のボールを取ったやつは松が初めてだ!
本当に凄いぞ!
頑張ったんだな!
こんなに心から気持ちよく褒めてくれる人もいるんだなぁと
ガラスの向こうで深々と散るキラキラとした雪を背景に話す大人のひとに
子供ながらに胸を打たれた光景は今でも忘れられません
大好きな先生と過ごした2年間もあと半年で終わりだなぁ
少し緑色が朱に変わり始める時期
戸田さんは真剣な顔をして自分の夢をみんなに簡潔に語った
俺、本当は美術の先生とかになりたかったんだよね。
先生をやめて絵を描く仕事をすることに決めました。
突然の話で
全員がポカンとしていた
戸田さんは話を続けます
今日からさぁ
放課後の時間を使って卒業までに皆の似顔絵を描くから
呼ばれた人一人ずつ教室に残って欲しい
大切な最後の生徒だから
一人ひとりの大好きな君たちの顔を忘れたくないから
先生も一生懸命みんなの顔を描くから
で、最初は松がいいと思う人手を上げて
ノノノノノノノノノ(・_・)ノノノノノノノノ
満場一致の挙手
その日から戸田さんのプロとしての絵描き人生が始まったんだとおもう
週に2人ずつ
6ヶ月程かけて描いたクラス全員分の似顔絵
今思えば色紙や立派な木の額縁も先生の自腹だったんだと思う
偶然か必然かはわからないけれども
私は一番最後に描いてもらった
放課後の清寂した教室で
ガスストーブと画用紙の上を走る紫色のMITSUBISHI鉛筆の音だけが聴こえる
妙に時間がゆったりと流れる心地いい時間。。
2日目
描き始めてすぐに
戸田先生の喉が動いた
〇〇さん
俺はさぁ
やっとやりたいことが見つかったんだよ
恥ずかしくて誰にも言えなかったんだけど
皆から勇気をもらえて
やっと決心することができました
本当にありがとう。
あなたには心から感謝しています。
お話は出逢った頃からこの瞬間に至るまでの思い出話が続いたのは覚えている
本当に一人ひとり真剣に向き合ってくれたんだなぁと子供ながらに思った
まるで2年間を二人だけで過ごしたような感覚になった事も覚えています
大人が子供に対してこんなに丁寧におおらかに優しく話しかける
心が追いつかない感覚は人生でコレが初めてだったのかもしれません
卒業式
ドッジボールが好きな私の大好きな先生は
ボロボロに泣きながら
もう皆とできないんだよなぁと言って
一人ひとり、立派な額縁に入れた似顔絵を渡していった
手渡しのとき、先生の口は一度も開かなかったけど
みんなが同じことを思って感じ取っていたと思う
初めて見ることができた似顔絵は
鉛筆だけで描いたとは思えないほどキレイな色をしていました
記憶というものは曖昧なもので
高速で流れる時代を生きる子供たちの時間は
信じられないような速度で過ぎ去って
2日間の出来事も
絵をもらったときの感動も
追われる日々のおかげで忘れ去っていました
実家を離れるときにふと
懐かしい香りを思い出したくなって
6年生の私が描かれた絵を額縁から取り出しました
画用紙の裏面には当時の先生から、
思いの詰まったメッセージが力強くこう書かれています
この言葉は〇〇さんに向けた言葉です
他の人には絶対に言わないで下さい。
2年間という短い間でしたが、
貴方に逢えたことは先生にとって本当に嬉しく、
そして楽しく日々を過ごすことができました。
道に迷って悩んだとき、
貴方のおかげで本当の自分を見つけることができたことに感謝しています。
この思い出は一生の宝物です。
戸田〇〇。+サイン
私達がなにをしたのかは全然覚えてないのだけれども
今思うといつも大好きな黒いジャージを着た細長い先生にまとわりついて
興味津々に何でも聞いていたのだけは覚えています
ほんの少しのキッカケや出会いで
人は変わることができるし
変わることができる事を知った
今、私はTwitterを通して忘れていたこの気持ちを改めて教えてもらうことができて
今度はその気持ちを誰かにも分けてあげたい
そう考えています
好き勝手に楽しくやっているのは自分が楽しいから
楽しい事をして誰かが喜んてくれたら
こんなに嬉しいことはないんだなと思っています
出会いは一過性のものかもしれませんが
今この時を本気で楽しみたいのです
戸田先生
あなたのおかげで素敵な友達と出逢えることができました
あなたがクラスのみんなにしてくれたこと
今でも色褪せない鮮やかな思い出です
今は、私も、絵を描くことが大好きですよ。
おわり。
あとがき、
少しずつ挿絵を入れていこうと思っています
皆様には心より感謝しております
最後まで読んでいただきありがとうございました。
GODsuÑ🌈