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ロイホのパフェがやはり一番美味い

ロイヤルホストのブリュレパフェがこの世のパフェで一番美味い。この世の全てのパフェを食べたことはないので、論拠はないのだが、それでも断言しよう。愛とはそういうものだからだ。

ロイホはシーズン毎に違うブリュレパフェを提供する。今は苺とピスタチオ。もうすぐメロンに変わるらしい。

その日俺は所用で渋谷から新宿へ渡り歩いていた。GW中なので、いつもに増してとんでもない人手である。特に渋谷。やはり渋谷は生半可な覚悟で行く場所ではない。

以下偏見。新宿に来る人間は「自分の好きな店で買い物をする」という目的があるので流れがスムーズだが、渋谷は「とりあえず渋谷に来た」という人間が多いので、道に人間が溢れており、流れも一様でない。偏見終わり。

用事を終えた俺の身体は長年放置された自転車のようになっていた(疲労感を表現しています。実際に腕が車輪になったわけではない。ここのところ、わかってくれますね)。そしてボロボロの自転車が油を必要とするように、俺の身体はロイホのブリュレパフェを必要としていた。

新宿の西口地下通路をずっと行くといつの間にか地上に出る。中心から離れているので人通りは少ない。街路樹が作る木漏れ日が心地よい。巨大なビルに埋もれるように、右手にオレンジ色の看板が現れる。控えめに、しかし堂々と。Royal Host。旅人の渇きを潤すオアシス。そこには苺とピスタチオのブリュレパフェが燦然と輝いているという。

俺は卓に着き、渡されたメニューを儀礼的に一瞥してからオーダーする。そして待つ。そうすると、来るのである。

まず目に入るのは頭に戴く苺、そしてピーカンナッツ(胡桃のような木の実)と、添えられたミント。自分の第一アイデンティティは苺であることを誇り高く主張している。俺はその威厳を前に、気づけば一礼している。
このデザートは基本的に縦の層構造であり、彼も例外ではない。赤とクリーム色を基調としたボディの中に、ピスタチオプリンの若草色の層が差し込まれており、爽やかな春の訪れを感じる。恐らく、春の季語である。

一番上にはその名に恥じないクレームブリュレ。表面は硬く香ばしくキャラメリゼされている。まずスプーンでそっと叩いてみる。叩いてみない人はいない。意外にもしっかりしていることがわかるだろう。それを確かめてからスプーンをゆっくりとめり込ませる。若干の抵抗の後、メリメリと層は砕かれ、下のカスタードと混合される。

それを口に運ぶと予想外の冷たさに驚くかもしれない。潜んでいたキャラメルアイスである。この清涼感が疲れた体を落ち着かせる。食後のデザートとして考えても、見事な配置である。

すぐ下には縦半分に切られた苺が並んでいる。苺のパフェを注文した客に対して、即、メインと邂逅させる配慮に脱帽する。一口、二口と進むと新たな食感に出会うだろう。クッキーである。これが美味い。クレームブリュレの柔らかさと、新鮮な苺の瑞々しさに、クッキーの素直な甘さとサクサク感が加わる。

その後に現れるピスタチオプリンの味は、正直に申し上げて、あまり記憶にない。苺とピスタチオのパフェを食べておいて酷い話ではあるが、とにかく俺はクッキーが好きなのだ。

基本的にパフェの美味しさとは渾然一体になることにある。長いスプーンを差し込み、それを抜く時に、上の層が遥か下まで入り込んでいく。その混ざり具合によって一口一口が一期一会となる。

しかしその中で、焼き菓子であるクッキーは中に他の味を浸透させない。本質的には交わらない。それ自身の甘みは強くないが、食感と素朴な味わいで確実に主張してくる。それがパフェという味覚体験の中で、心地よいアクセントになっている。

ここで、クッキーの偉業に想いを馳せていた俺の口に飛び込んでくる苺のジェラート。なんとなく甘くだれてきた口を復活させるような甘酸っぱさが俺を目の前の苺のパフェに引き戻す。

底にはバニラアイスと苺のソース。デザートの奥に秘められた、最後のデザートである。シンプルだが、シンプルだからこそ、この重責を担うことができる。濃厚な苺ソースでこの食事体験を締めくくることで、自分が何を食べていたのか、その甘酸っぱさを強烈に印象づけられる。俺は確信する。

まさにParfait。完璧である。

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