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「戦争しない」はきれいごとではない。
2016年の日記から。
昨日の教会の女性会の学び。「沖縄」がテーマでした。沖縄の歴史や現状を学んだあとで、意見交換。
「剣をとるものは剣で滅びる」という主イエス・キリストの教えにしたがって。だから戦争をしてはいけないのだ、という話になったのです。
そのとき、戦争を体験している80代の先輩が、「この話はきれいごとではないのよ。私たちは、武力でやられたときに、やり返さないと言い切れるかどうかを自分に問わなければならないの。『右の頬を打たれたら、左を出しなさい』というけれど、それはとても難しい。人間が暴力性をもっていることをきちんと私たちは自覚しなければならない。だからこそ、武器や武力を持ってはならないと思うのよ」と話してくれました。
すべての人間は、罪びとです。何かのきっかけで人を虐げたり、差別したり、暴力をふるったり(言葉もふくめて)しかねない弱い存在です。そのことを自覚しなければならないのだという話に、「憲法9条」の意味が痛いほどわかりました。
私の友人には、アメリカ人も、中国人も、韓国人も、タイ人もいます。お互いの顔が見える関係で、戦争なんてありえない。国境線なんて人間が勝手に決めたこと。
「全世界の人と友達になろう」
「そしたら、だれも戦争しようなんて思わなくなるよね」
2022年。いま、国と国との争いが現実になり、私たちの国も軍事大国になりつつある。守るべきものは何?自分たちの力では生み出すことができないいのち。それに勝るものはない。それに優先されるものはない。