引き寄せの法則を復習<その1>存在について
まずはやっぱりここから。
わたしが大きく影響を受けたエイブラハムの引き寄せの法則を復習しよう。
私が読んだのは最初の翻訳者である吉田利子さんの訳。
(ちなみに、本田健さんの新訳もあるし、奥平亜美衣さんの訳もあります。)
再読して驚いたことに、私が求めていた答えがしょっぱなから書いてあった。前に読んだ時は理解が浅くて読み飛ばしたみたいだ。
私たち「人間」の存在とは
まずは、私たち人間の存在について、エイブラハムが言うことには。
目にはみえないが、ソースエネルギーが人間の私を大きく包み込んでいる、とエイブラハムは言う。私たちはソースエネルギーを内なる存在として感じるのだそうだ。ハイヤーセルフ、魂と呼ぶ人もいる。
魂って心臓のあたりにこぶし一個分ぐらいで存在してるイメージだったけど、本当は私の体より大きい。ソースエネルギーである大元のわたしは空中にもわもわと漂っていて、焦点を合わせるとギュッと集まって人間の私を形づくっている。砂鉄が磁石にくっつくようなイメージが浮かぶ。
人間の私という存在は、そもそも目に見えている私だけではないのだ、私はわたしたちの一部だったのだ。
これを採用するならば、根本的な前提が覆る。私は孤独ではないし、分離もしていない。大いなる存在とともに常にあるのだ。
そして、物質化した人間である私、が存在する意味とはこうだ。
人が経験することはすべて、宇宙にとって大きな価値があると。その多様性で地球のバランスが保たれている、とエイブラハムは言う。
今日泣いたことも、昨日笑ったこともすべて、宇宙の糧になっている。失敗も成功も全部だ。
これが本当なら、私たちは生きているだけでいい。毎日、存在しているだけでいい。生きていれば毎日なにかしらの経験をするだろう。様々な感情を体験するだろう。地球には時間が存在するから、年齢や季節や時代によって多種多様な経験を宇宙にフィードバックできる。
これが本当なら、自己受容なんて簡単だ。生きてるだけで、価値があるんだもの。
そして以下の文章に触れた時、わたしは心底驚いた。なぜなら、わたしの問いがそのまま本にかいてあったから。
そう、私は生まれる前に決めた目的をまだ達成していないような気がして仕方がないのだ。生まれてこの方もう50年も経とうとしているにも関わらず。
そして、なぜここにいるのか、いつも知りたいと願っている。人間の根源的な欲求だ。
探求はつづく。
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