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我が手元にあるものたちの旅路

23年前、私が想像すらもできない英国のロングブリッジという土地で、私の愛車ミニは製造された。そこから一人前の自動車としてどんなキャリアを重ねてきたのか、私はまったく知らない。
とにかく、今はニッポンの名古屋にある住宅街の我が家で、私とともに何年も過ごしている。まだしばらくはこのままだろう。

そのクルマから取り外され、すでに他の人の元へ旅立っていったパーツたちもある。北九州へ。東京へ。大阪へ。
一方で、私が新たに取り付けたイタリア生まれのステアリングなどは、私が日本で何番目のオーナーなのかわからないけれど、つい最近までは山形のどこかで過ごしていたステアリングだ。

モノは私以上に地球のあちこちを旅をしているんだなあ。と、どうでもいいことに思いを馳せてみた。

今、私のデスクの目の前にある封書は岩手から届いた。この封筒と同封されていたA4の紙は、岩手を出発する前まではどこで過ごしていたんだろうか。
さらに昨日、タンスの湿気取りに敷かれた古い新聞紙は2009年の記事だった。もしすぐにリサイクルに回されていたら、遠の昔に別の姿に変えていたはずだ。しかし、縁あってその新聞紙は我が家で10年以上も定住していたことになる。

10年所有したクロスバイクも「欲しい」という人がいたので新しいオーナーの元に旅立っていった。大事に扱われているだろうか?と心配にもなる。

この話をさらにさかのぼっていくと、それぞれのパーツたちのことも気になってくる。この金属の素材はどこにあったのか。着ている服はどんな流通経路だったか。どこで作られたか。その素材はどこからやってきたのか。糸は何から生まれたのか。それぞれのモノが見てきた世界をタイムラプス的なもので見てみたいような衝動にかられている。

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