「世の価値観」よりも「培ってきた賜物」
今日は、「世の価値観」よりも「培ってきた賜物」というテーマで若き日のダビデが巨人ゴリアテを打ち破った際の聖書箇所を見ていきたいと思います。
サムエル記第一 17章
34 ダビデはサウルに言った。「しもべは、父のために羊の群れを飼ってきました。獅子や熊が来て、群れの羊を取って行くと、
35 しもべはその後を追って出て、それを打ち殺し、その口から羊を救い出します。それがしもべに襲いかかるようなときは、そのひげをつかみ、それを打って殺してしまいます。
36 しもべは、獅子でも熊でも打ち殺しました。この無割礼のペリシテ人も、これらの獣の一匹のようになるでしょう。生ける神の陣をそしったのですから。」
37 そして、ダビデは言った。「獅子や熊の爪からしもべを救い出してくださった主は、このペリシテ人の手からも私を救い出してくださいます。」サウルはダビデに言った。「行きなさい。主がおまえとともにいてくださるように。」
38 サウルはダビデに自分のよろいかぶとを着けさせた。頭に青銅のかぶとをかぶらせて、それから身によろいを着けさせたのである。
39 ダビデは、そのよろいの上にサウルの剣を帯びた。慣れていなかったので、ためしに歩いてみた。ダビデはサウルに言った。「これらのものを着けては、歩くこともできません。慣れていませんから。」ダビデはそれを脱いだ。
40 そして自分の杖を手に取り、川から五つの滑らかな石を選んで、それを羊飼いの使う袋、投石袋に入れ、石投げを手にし、そのペリシテ人に近づいて行った。
出典:Ⓒ新日本聖書刊行会 新改訳聖書 2017
この聖書箇所を見ていただければわかるように、ダビデは、サウルから当時では「ベストな装備、これ以上ない装備」を与えられました。
しかし、ダビデは、それを「脱いだ」のです。
そして「羊飼い」としての、世の価値観で言えば「貧弱な装備」「取るに足らない装備」で戦うことを選択したのです。
その結果、ダビデは神の加護により、ゴリアテに奇跡的勝利をすることができました。そこから、ダビデの栄光への道が開かれました。
私達も、時に「世の価値観」で判断することが多くあります。
しかし、私たちのこれまでの人生には、神様から与えられた、そして培ってきた賜物があるのです。もしも、ダビデがサウルから与えられた装備でゴリアテに挑んでいたならば、ダビデは勝利することができたでしょうか?栄光への道が開かれ、王様になることができたでしょうか?
神様のご計画・トレーニングは完璧です。世を信頼するよりも、たとえどれだけ貧弱で、小さく、弱いものであったとしても、これまでの人生で私たち自身が培ってきた賜物を使うことこそが、「神の栄光」をあらわすことができるのではないでしょうか。