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【GODAIグループ90年の歩み】④港北・船橋と支店を拡大・一大グループ企業へと成長

GODAI note編集部です。

GODAIグループの90年の歴史を、現会長の佐藤武昌が振り返る【GODAIグループ 90年の歩み】シリーズ。第4回の今回は、2000年代の10年間を振り返ります。

この10年間において、グループとして大きいトピックの一つが、財団法人から学校法人への移行。創業者・佐藤忠三の「社会に奉仕する」精神を受け継ぎ学校法人に生まれ変わり、社名もこの時に「学校法人五大」となりました。スポーツ部門においては港北支店、船橋支店と支店を拡張。事業所も社員も一気に増え、グループとしてさらに発展・拡大していきました。

(※以降は、佐藤会長の視点で話を進めます)


川崎の自動車教習所を売却

2000年代は、GODAIにとっても支店の新設や学校法人への移行など、大きな転換期となりました。

一つ目の大きなプロジェクトが、川崎・八丁畷の「神奈川自動車学校 川崎教習所」の売却です。父・佐藤忠三が亡くなる直前まで汗を流して立ち上げた、思い出の深い川崎教習所ですが、1962年からは京浜急行電鉄株式会社(京急)との合弁会社によって運営されていました。

そんな折、あるきっかけで売却の話が持ち上がり、自動車教習所を営む他企業への売却に到りました。この売却を通じて得た資金を、その後の専門学校の基盤強化やテニススクールの展開といったプロジェクトに投資し、「攻めの経営」を進めていきます。

「財団法人」から「学校法人」への移行

「攻めの経営」の一つが、神奈川自動車専門学校の基盤強化です。創業者の佐藤忠三が遺してくれた財団法人の基幹事業である専門学校。「定員をさらに増やして、財団法人の幹を太くしたい」との思いを私は常々持っていました。

2004年、公益法人改革の一環で、従来の財団法人の公益性を見直し整理するとの通達が国から出されました。私たちの財団法人もその対象となり、周囲に相談する中である方から「専修学校なのだから学校法人にしてみては?」との忠告がありました。幸い、所轄庁の神奈川県庁も同意してくれ、財団法人から学校法人への移行に向けたプロジェクトが始動しました。

学校法人の認可を得るためには、定員を増加するとともに、校舎を拡張する必要がありました。専門学校を強化したいという私の想いとも合致していたので、これを機に2級自動車整備士の養成課程(2年制)を1クラスから2クラスに増設し、05年に新校舎を建設。翌06年には財団法人から学校法人へと法人格を移管しました。名称も法人名を「学校法人五大」に、学校名を「横浜テクノオート専門学校」にそれぞれ刷新しました。

2006年に「財団法人神奈川自動車学校」から「学校法人五大」へと法人格を移行。創業者・佐藤忠三が大切に守り続けてきた財団法人の理念を継承した

さらに、これから社会に必要とされる自動車整備士像を見すえ、2009年に1級自動車整備科(4年制)を設立。それに合わせて新校舎を竣工しました。
多くの自動車整備士専門学校が定員縮小に向かう中、その逆に倍増し、学科を新設するといった動きに出たのは、私たち横浜テクノオート専門学校だけでした。この時期にリスクをとって攻めの一手を打ったことで、専門学校としての付加価値と競争力を高めることができたのです。

港北校・船橋校を相次いで開校

そして、スポーツ部門においては2005年に横浜テニスカレッジ白楽校の会員数が2,950名と最高に達するなど、テニススクール事業が大きく成長。そのニーズに応えるため、07年に横浜テニスカレッジ港北校、08年に船橋校を相次いで開業。テニススクールを3店舗に増やし、規模を拡大していきました。

2005年、「横浜テニスカレッジ白楽校」(現在のGODAI白楽支店)の会員数は2,950名に達した

横浜市営地下鉄・センター北駅近くに新設されるショッピングセンターがテナントを募集しているとの情報を得てすぐコンペに参加。8社が競合する大きなコンペになりましたが、幸運にもコンペに採択していただきました。

こうして07年、「横浜テニスカレッジTHE CENTRE」(後の港北校)が開業。10年には在籍会員数が3,240人に達し、当時のテニススクールで日本一の規模となりました。

2007年、2店舗目となる「横浜テニスカレッジ港北校」(現在のGODAI港北支店)を開業
横浜テニスカレッジ港北校は、2010年には会員数が3,240名に達した

翌08年には、東武鉄道株式会社とのご縁で、同社が千葉県船橋市にオープンするスポーツクラブの隣接地に「横浜テニスカレッジ船橋校」を開業しました。

2008年、千葉県船橋市に「横浜テニスカレッジ船橋校」(現在のGODAI船橋支店)を開業

なお、港北、船橋ともに、オープニングスタッフは新規採用で確保。テニス界に広い人脈を持つ黒田昌吾が熱心に声をかけ、人財をスカウトし、新たな社員が貴重な戦力として続々と加わってくれました。

こうして規模を拡大したことで、テニス業界における「横浜テニスカレッジ」の知名度はさらに高まりました。加えて、社員数も飛躍的に増加。「家業」をルーツとするGODAIがだんだんと「企業」の表情を帯びていきました。

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