(47日目)出口を意識する勇気を
トンネルに入ると必ず出口があるように、モノゴトにも必ず入口と出口がある。
生物の生と死のように、万象にはすべて「入口と出口」があるのかもしれない。
しかし、これは不思議なことだけど、多くの人は入口だけを語り、出口は語らないことが多い。
仕事ではどうだろうか?プロジェクトが立ち上がった時、このプロジェクトの終わりがきちんと議論されているだろうか?
最近の欧州の規格では製品のライフサイクルを明確にすることが厳密に求められており、(ソフトウェアもしかり)日本のJIS規格もそれに習うように出口の定義を明確にするよう製造者に求めるようになってきている。
出口を意識したくない、というのは人間の本能のように思える
誰だって終わりは考えたくないものだ。
文化祭が始まる前に片付けの話をしたらどうなるだろうか?「なんだよ、今から楽しくなるってのに片付けの話なんかして…」と思うかもしれない。
面倒だし、何より始まることへの昂揚した気持ち、盛り上がっている気持ちに水を差された気分になるだろう。
でも、悲しいかな。モノゴトは必ず終わりを迎えるものです。
立つ鳥あとを濁さずと言うが、きちんと終わらせることは始めた人の義務だと思うし、みんながこれを行えば今よりもっと美しい世の中になると僕は信じている。
(以下、閑話。お暇な人はどうぞ)
ここに20万円と3万円のチェアがあるとする。形はほぼ一緒に見える。前者はオリジナル。後者はレプリカだ。
さて、どちらを買うか?
例えば僕は、以下の2点を必ず反芻してからモノを買うようにしている。
1.主観的に価値があると感じるか?
2.入口と出口のバランスはどうか?
このチェアは昔から憧れていたモデルだ = 主観的に価値を感じている
では客観的な価値はどうか?20万円のチェアはかなり価値が高く、ここ数年オークションサイトを見ても15から17万の推移で売れている。5年後もそう価値は変わらないと思われる。一方3万円のチェアはそのモデルのレプリカだ。マイナーすぎてオークションサイトでも見当たらない。当然市場価値は判断できない。
どちらかを5年間所有するとするとどちらを買うだろうか?
前者の入口のハードルが高い。後者は形も似ている。安い方でいいのではないか?という考えがよぎる、だろう。一般的には。
しかし、入口と出口のバランスを考慮すると、5年後に手元に残るお金は前者でも後者でもそう変わらない可能性が高いことが分かる。
そしてこうも考えられないでしょうか?
これを購入することで、この美しい、自分が価値を感じているチェアを少なくとも5年間この世にとどめることができる。そして、また価値を感じる新しい人に引き継ぐことができる
この考えはまぁ、骨董を買う旦那さんが、奥さんに対して使う言い訳だと言う人もいますが(笑)
…
とまぁ、長々と書きましたが、消費という誰もが日常で行っている行為も、きちんと入口と出口を意識しつつ、自分の価値を信じて行おうぜ!ってことを言いたかったのです。(決して自分が欲しい高いものをバンバン買え!というわけではありません)
みなが消費する前にきちんと出口を考えて行えば、ただ便利なだけなものとか、安いものなんて買わなくなるはずで、デフレなんかとっくに脱しているはずだし、価値に見合った製品にお金を払うようになれば、当然その辺りの市場も活性化し、結果、みんなの所得も上がる可能性がある。
結局のところ、今の日本の経済状態は自分で自分の首を絞めている状態なんだなー、とつくづく思っています。
今日のひとこと
サクちゃんは言語化の力がものすごく長けていると同時に自己を探求し受け入れる能力がすごい。世間的に悪いといわれていることも、「あ、自分にはそんなとこあるよな。じゃあこうしよう」と受け入れ、きちんと自分に合う方向を向く。そこに躊躇は、ない。(いやあるのかもしれんけど)
ただあるがままの自分の価値を信じる。
こういう生き方がきっと「自分にやさしくする」ということなんだろうな、と思う。