(26日目) 不惑の年
やらなくては、やらなくては、と何かとあせる気分になる。秋ですね。
これはもう僕の癖でもあるんだけど、転職という大きなイベントから半年が過ぎた今、なにか、また、心の中で「こんなことしていていいのだろうか虫」がざわざわと騒ぎ出している。
男齢にして40歳。
歳を経るごとにだんだん素直になっていくところと妙に頑固になっていくところが同居する不惑の年。
不惑とは、もう悩むのメンドクせーや!と諦めの境地に至ってしまう、という意味なのかしらと密かに思っている。
僕はどうやっても身長190センチの彫りの深いイケメンにはなれないし、社交性の優れた肉食モテモテ男子にはなれない。
こんな下世話な願望はとっくの昔に童貞とともに捨てたのだが、唯一、諦めきれていないことがあった。
物を作る、クリエイティブな仕事ができる人間への憧れだ。
もう随分前から、物を作るということに対して圧倒的に「辛いな」と思うことが増えているにもかかわらず、まだ健気にしがみついている自分がいる。
物を作る、という地味で長くつらい作業でどうしてもモチベーションを保てないのだ。ぶっちゃけていうと、楽しくない。社会と隔離されたところで社会の課題を解決できるのか、と思う。
もっと、端的に、社会の課題を解決したい!感謝されたい!と思うのだ。わがままだろうか?
物を作るのは楽しい。もちろんだ。
しかし、長年のサラリーマン生活で物を作るという行為は思っているほど自由ではないということを知ってしまった。当初の目的は簡単にゆがめられ、結局コストと量産の都合により信念はじょじょに失われ、ただ、もう決まったことだし期限内にしあげなきゃ、となる。
社会の課題を解決しない物作りは単なるオナニーに過ぎなく、オナニーならまだ良い方で害を与える可能性だってる。
信念なき行為は、経済的にも、精神的にも害毒として社会を蝕んでいく。
常に付きまとう「こんなことしていていいのだろうか虫」。
乾いた米粒のように、心のひだにこっそりくっついている。
でも、この「悩む」という行為は辞めたくない。この「悩み」なくては前進もない。
まだまだ不惑にはなれない。惑う日々だ。
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