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(32日目)嫌ってくれてありがとう

忘年会の二次会での出来事。

職場のK女史から「君はキチンと敬語を使いなさい!」とありがたいご指摘をいただいた。あ、はい、すみません。と応えると「おばさんから言わせてもらうとね、あなた敬語が… 入ったばっかりなんだし… 困るわよ今後… 周りはみてるからね… 」なんてことを延々と聞かされはいはいとそこそこ誠実に見えるように相槌を打って(部長の助け舟もあり)その場はなんとか収まった。

この女史はその後もダメ出しを続け、あーだーこーだと言い続けていた。絡まれた人はみな曖昧な笑顔に菩薩顔。大人だなぁ。

***

僕は今年から「滅多なことでは人を嫌いにならないようにしよう」という誓いを立てている。

一度嫌うとその人を再度好きになるのは相当のエネルギーを要することを知ったからだ。しかも職場の人ともなると毎回顔を合わせることになる。ストレス倍増だ。
かといって全員を好きになるわけではない。嫌いにならない努力をする、ということだ。そして、それでも嫌い認定をせざるを得ない人が現れたら、脱兎のごとくその場から逃げることを自らに許している。

さて、この女史の話だ。

その時の僕の印象は「可哀想な人だな」だった。完全に固定概念に囚われている。自分の考えに沿わない人を理解しないし、しようともしない。そんな人を知っている。かつての僕の母だ。
本気でお子さんに同情した。僕なら2秒で家出する。

基本的に自分の考え=世の中のルールと考えている人は苦手だ。そして自分の意見を聞かない人を「この人は話を聞かない」と称して周りに愚痴る。苦手だ。はっきりものをいう人は好きだが、自分の都合のいいこと、悪いことのみはっきり表現する人も苦手だ。

しかし、そんな苦手な女史のこの発言や行動から「ああ、やっぱり自分の考えを人に押し付ける行為ほど不快なものはないな」と気づくことができた。

K女史。僕はあなたが苦手だ。けれど、こんな素敵な気づきをもたらしてくれた。心からありがとう。

嫌い(苦手) はごく個人的な感情で、その人の行為の結果をどう受け取るかも自分の問題だ。決して相手のせいではない。

僕はあなたを通して自分を少しずつ自由な方向に変えていく。

これからもよろしく。


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