(48日目)「好き」と「その他」の長い距離
今年の帰省で母がふとこんなことを言いました。
「私、ぜんっぜん人の名前を覚えんのよ。覚えようともせん。」
あー、俺も俺も、どうしてなんかねぇと聞くと母はこう答えた。
「いや、覚えれんわけやないのよ。覚える人はすぐ覚えるの。多分好きな人や事(こと)じゃないと覚えないんだわ。その他は本当にどうでもいい」
あ、これだ、と思いました。
僕は「好き」と「その他」がものすごく離れている。
多分図にするとこんな感じ ↓
(予想ですが)普通の人は「好き」からだんだんとテンションが下がっていくが、中間くらいも結構好きだったりする。(黒い線)
対して僕は、好き!から少し離れるとほぼ絶壁でテンションが落ち込む。(赤い線)
ただ、マイナスには行かず「どうでもよい」部類まで下がるだけ。
これが人の名前を覚えられないからくりかー。
我ながら難儀な性格だなぁと思うが、この性格のおかげで好きなものを見つけたときと強烈な感動があったりします。(日ごろ感動に対する飢餓感もすごい)
覚えよう、という動機に限らず、仕事や恋愛観にもこの性格が直結しているかもしれない。
(今日のひとこと)
人は夕日を見たことを覚えているのではなく、夕日を見て感動したその体験を覚えているのだ、という話を聴いた事があります。
うつろい変化する実体に比べて体験したことは変わらず残る。思えば不思議ですが、だからこそ、人は因縁と関わる自分自身というソフトな部分を見つめるのかもしれません。