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うっかり先生じゃダメでしょって思ってた日々。あなたは「失敗してもいいんだよ」っ て、自分に言えますか?

2018年度に学研発行・実践障害児教育にて10回に渡り連載させていただいたコラムを、編集長に許可をいただきこちらへ掲載いたします。

ADHDうっかり元教師 雨野千晴のいつもココロは雨のち晴れ <第1回 2018年4月号掲載>
うっかり先生じゃダメでしょって思ってた日々。あなたは「失敗してもいいんだよ」っ
て、自分に言えますか?


ADHDうっかり女子、教師になる。

37歳でADHD(不注意優勢)の診断を受けた私は、昔から学校の勉強は得意な方で、人前で意見なんかも張り切って言う質だった。だから子どもの頃は一見しっかり者と思われることも多かったのだが、その実はものすごくうっかり者だったのである。

とにかく片付けができず、忘れ物、無くし物が多い。ランドセルや机の中は常にぐちゃぐちゃ。家の鍵や財布、被っている帽子や着ている服まで、いつの間にか無くなっているから不思議だ。時間が読んで行動するのが苦手で、遅刻も多い。携帯もまだ普及していなかった学生時代に、友人を5時間も待たせてしまったという恐ろしい記録もある。もはや遅刻とも認識できないほどの遅れっぷりである。

そんな自分が何の因果か教師になってしまった。まさかの「忘れ物をしないように。」と言わなきゃいけない側である。さてどうしたものか。しっかり者に生まれ変わらねばならぬ、と思ったもののそんな意気込みで変われるのであればとっくの昔に変わっている。

受け持ちの教室であっという間にしっかり先生の仮面が剥がれた私は、忘れ物も無くし物も時間を守れないところも、子ども達と一緒に成長していこうじゃないかと思っていた。

一方で、職員室ではそうは思えなかった。できればうっかりの部分は隠して「仕事ができる」職員としてみんなに認められたい。そんな思いが強かったのだ。


「うっかり」は社会人として致命的?

しかしながら、得意だった学校の勉強は残念ながらほとんど役には立たなかった。自分が分かるということと、人に教えるということは別物なのである。そして、うっかりミスが多いという私の特性は、割と社会人としては致命的なのだということを思い知った。重要書類も多数扱う教員となれば尚のこと。私はますます自分がうっかり者であるということを職員室では隠し通そうと決めたのだった。

決めたからといって、うっかりが無くなるわけではもちろんなかった。それどころかうっかり頻発といった状況であった。

児童を給食後すぐに帰宅させなければいけない日に、すっかり忘れて「昼休みは元気に外で遊んでおいでー!!」と子どもたちを送り出し、隣のクラスの先生に言われて大急ぎで「1年2組のみなさん!戻ってきてください!!」と全校放送をかけたり、

警察署への校外学習で、引率経路を間違えていたのに全く気付かずに自信満々に子どもの先頭を歩いていて、警察の方に「先生違いますっっ!!」と厳しく注意されたり(警察署の見学ってかなり厳格なのだ)、

遠足の引率の日に集合時間を間違え、「先生集合時間ですよ!!」と家に電話が来て、急いで飛び起き学校へ行くと私以外の児童・教員がグランドに私待ちで待機しており、「5分前集合を心がけて行動しましょう」という他の先生の指導を大変気まずい思いで聞いたり、

まぁ書いていればそれだけでこのコラムが終わってしまうほどのうっかりぶりである。もっと言うと、ここには書けない事案も山ほどある。


「失敗しても大丈夫」を自分には思えない矛盾

子ども達には「失敗してもいいんだよ。教室は失敗するところなんだから。」などと言っておきながら、自分のこととなると、「失敗したくない」と強く思っていた。というか、失敗してはいけないと思っていたのだ。子ども達の前では素直な自分でいられたのだが、職員室ではダメだった。てきぱきと仕事をこなす先生方に、ダメな自分を開示することができなかったのである。そのうちに、私は職員室でうまく話すことができなくなってしまったのだ。何か発言しようとすると、のどが詰まるような感じがして、声がうまく出ない。動悸が激しくなる。そんなことは人生で初めての経験で、人前で話すのが得意だった自分にとって、それは大きな衝撃だった。

そんな時に産休へ入ったことは、私にとってちょうど良い心のリハビリ期間となった。生まれた赤ちゃんを見ていると、「あぁ、人は生まれてきただけでこんなにも周りの人を幸せにするものなのだな。何もできなくても、そこに存在してくれるだけでいい、誰もがみなそういう存在なんだな。」ということが妙に腑に落ちたのだった。


子どもの自己肯定感を育む前に、まずはありのままの自分を認めること。

今までの「失敗してもいい」は上っ面であった。自分に思えていないことを、人に言ってもまるで説得力がないではないか。育休から復帰するにあたって、今度は心の底から「失敗してもいい」と子どもたちに言える自分でありたいと思った。できないこと、うっかりなことを隠さず、そのままの自分で復職しようと思ったのだった。

子どもに「どんなあなたも素晴らしい」「失敗してもいいんだよ」「間違えたって、いいじゃない」そう伝えたいのなら、まずは自分自身に腹の底からそう思ってあげること。全てはそこからなんじゃないかと私は思っている。

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