なぜ生きるのか、どう生きるのか。:宇久島メガソーラー篇
今週頭、大変複雑なニュースが飛び込んできた。
五島本でも取材した、五島列島最北端の島・宇久に日本一のメガソーラーが着工という報道。
離島を覆う太陽光パネル152万枚 「日本一」のメガソーラー本格着工へ 長崎・宇久島
実は五島本の中でも冒頭で書いたのだが、宇久島は平成の大合併で佐世保市に吸収され、それまで独立した自治体として稼働していた様々なセクションが九州本土の佐世保市管轄に統合されてしまった。
その結果、教育委員会ひとつをとっても本庁の意向なしでは実行の権限も予算も動かせず、島としての意思決定ができない事態が頻発している。
という話を今週はご紹介したい。
宇久島取材で上陸直後に受けた重たい洗礼
五島本の取材は、大きく分けて8つの島を合計10日間で取材してまわるという恐ろしい弾丸ツアーだったのだが、(自分で引いたスケジュールなので文句は言わないが)一度もケンカすることなく全行程をともにしてくれたカメラマンには本当に感謝しかない。
で、もう付き合いの長い間柄なので、だんだん言葉にしなくてもお互いが感じていることがわかるようになってくる。特に取材あるあるは一通り一緒に経験してきているので、このときも、二人の脳内はファーストコンタクトから一致していた。
前日と当日の小値賀島での取材を終え(ちなみに小値賀は宇久のすぐ南の島)、フェリーでのぼって宇久島に着いてまずは宿にチェックイン。もともと半日コースだったため、島で見ておくべきポイントを聞いてからぐるっと周回しようと、カメラマンとふたり、軽い気持ちで新聞を読んでいるおじさんに声をかけた。
「何の取材ね?観光ね?」
無愛想に顔を上げたおじさんは、宿のオーナーだった。
まずい。これはいきなり大物を釣ってしまった、と我々は思ったのだが、After the Festival。
立ち上がったオーナーは、喫茶コーナーに我々を招き、コーヒーをいれてくれた。
時は14時。そして翌朝4時にはフェリーに乗って次の島へ向かわねばならない。日がのぼっている間に島をまわり、名物のレンコ鯛をメインとする夕食をきちんといただいて早めに就寝、朝3時には起きないとMAZUIという強行スケジュールなので、1分でも時間は惜しい。
しかし、ここでそのようなそぶりを見せようものなら、その後の時間すべてをロストすることを我々は野生と長年の勘で察知した。
うながされたソファに座り、吉凶やいかに、と取材趣旨を説明。
数秒、間を置いて、オーナーは語りはじめた。
「まわってもらったらわかると思うけど、この島には観光のための看板がほとんどない(その理由は、冒頭の権限が本庁に移行したためというくだりに戻る)。あんたたちがどこを見るかは任せるけど、台風やらで風力発電がダメになって(この当時は計画そのものが上記産経の記事にもある事件などの影響で暗礁に乗り上げていた)、相変わらず松浦(九州本土にある長崎県松浦市)からの火力発電頼み。
(おそらく、オーナーは発電事業くらいしかもう生き残る術がないのに、と言いたかったのだと解している)
オレはもともと島の人間じゃなかけど、嫁がここが地元やもんでこっちに来たんよ。ただ、福岡市内にも店ばもっとると(聞けばフリーランスの事務所のすぐ近所だった)。
あと、●●耳鼻科わかる?(これがまたなんと、後藤の自宅のすぐ近所のでっかい耳鼻科だった)あそこの院長は、島内じゃ仕事がない若い子を看護師として採用しよる。
なにが言いたいかって、この島は、もう島の人間だけじゃどうしょうも再生できん。あんたたち福岡とか、都会の人が一緒になって盛り上げてくれんと」。
我々のなかで、「あ、これは凶ではなく吉だ」と心が動く。
まぁ正直、自然環境に勝てなかった凶事はあれど、我々はそれ以外では割と吉事にめぐりあってきた。というか、そもそも取材とはそういうものだったりする。
(「こいつらにはちゃんと話してもいいか」と思ってもらえる空気を早めに出しているのだ、ということにしておいていただけたらと)
さて、ここで、我々が受けたミッションが観光本としてのオーダーであれば、この時間は正直あまり益にはしにくい。
しかし、今回我々が背負っているお題目は、「列島のあらましを拾ってくること」。
これ以上のあらましは、このあと自力で島内をめぐってもないように思った。
一度もクロージングをかけることなく、オーナーに想いの丈を語ってもらうこと30分。
御礼を言ってコーヒーを飲み干し、我々は重たい足取りで、しかし「だからこそ、自分の目で見なければ」という重責感を携えて、その後の取材を遂行した。
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