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知っている渋谷。知らない渋谷。
Shibuya has changed into an unknown city. What is Shibuya going to be?
スクランブルスクエアから銀座線に乗る。目をつむっても歩けるくらいだった渋谷が全く違う街になっていっている。現在進行形で。
桜丘の広大な敷地にはスクランブルスクエアよりも大きなオフィスビルと商業施設が建つらしい。十数年前に働いていた事務所から同僚とご飯を食べたり本を読みに立ち寄っていたころの街はすっかり消えてしまった。僕の知っている思い出の渋谷は巨大な資本で塗り替えられていく。
コレを言うと気分を害する人がいるかもしれないけれど、東京生まれ育ちが暮らしてきた思い出の風景は、大都市メトロポリス東京が引き寄せる有象無象の夢の力と資本の暴力によって、彼らが憧れる“理想の東京”という虚像に向かってどんどん塗り替えられていく。それは都市が抱える宿命なのだろう。
東京人はスクラップアンドビルドには慣れっこだけれど、そんな東京にも生まれ育った人がいて、渋谷は僕が小さい頃から慣れ親しんだ地元なんだよね。
まぁ、新しいモノや雑多にミックスされたカルチャーが好きなのは東京のスピードと変化を肌で感じながら育った影響もあるから、新しいモノが次々生まれること自体は嫌いじゃない。
ただ、一方で次々巨大なビルが経つ度に感傷的な気分になることもある。
地方出身者が、人がいなくなって過疎化していく地元を憂う哀しみとは別の要因から起こる感情が、東京育ちにもきっとある。
東京と田舎を行ったり来たりする二拠点居住は、どちらの現象も我が身で感じて、どちらも感情も抱くことになるのだ。
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![Shinichi ARAKAWA(荒川慎一)| 写真とデザイン](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/19472772/profile_bf2b8006fc7a8499552b5d954ae9b4b3.jpg?width=600&crop=1:1,smart)