写真を調理する。 #1
害獣駆除で命を絶った鹿の頭骨を知り合いからもらった。
写真のモチーフとして画になるし、全体が乳白色なので光のまわり方の勉強にもなるので、ライティングの勉強に時間の空いたときにちょこちょこ撮影してみることにした。
写真が完成するまでの行程は大まかに3つある。
1,何をどう撮るか?といったイメージの確定。それらの事前準備。
2,被写体と対峙して撮影。
3,撮った画像のセレクトと現像処理=レタッチ。
無理矢理「釣り」に例えると、(1)は何を釣るか?漁場はどこにするか?どんな竿とエサを用意するか?といったこと。(2)は釣り場で魚を釣ること。(3)は釣った魚を選んでどう捌いて、どう料理するか?ということなのだ。
写真を撮り始めたばかりの人や、写真を本格的にやったことのない人には(3)の行程はあまり馴染みがないかもしれないのだけれど、これは非常に重要な行程で、撮っただけ(釣っただけ)の画像はただの素材にすぎない。現像処理=レタッチ(調理)なくして〝写真〟にはなり得ないのだ。
上の四枚の写真は全て同じデータからデジタル現像処理で色あいや表現を変えたもの。全く同じ画像からでも。表現の方向性や目的によって、撮影後の後処理で風合いを変えることができる。ここがデジタルのすごいところ。
どれが正解でどれが不正解か?という取捨選択は、判断の元になる軸がないとできない。その軸とは、個人の好き嫌いといった曖昧なものではなく、求められている目的に沿った表現であり、それをクライアントや制作チーム全員で事前に共有しておくことが大事なのだ。その軸に沿った表現に向けて、(1)の準備や(2)の撮影行程でもシチュエーションや機材やライティングを追い込んでいくことができる。
理想を言えば、撮ったままをそのままお出しできるような、撮影ができることなのだけど、それは良い素材ができただけなので、求められる表現に向けてデジタル現像で最後まで仕上げる。パシャッと撮っただけでは〝写真〟は完成しないのだ。
きっちり撮影された画像は素材としてのデキが素晴らしいので、後処理の調理はほんの少し〝出汁〟を利かすような処理だけでよい。デキの悪い画像はゴリゴリに煮たり焼いたり、ケチャップのような濃い味付けをしなければいけないことがある。(そういう表現が必要な時もある)
写真も素材が良ければ刺身でいい。
レタッチも非常に奥が深く、調整幅も途方に暮れるほど広い。おまけに調整項目もウンザリするほど細かい。ついつい濃い味付けにしてしまいたくなることもあるけれど、出汁のような素材を活かすレタッチに止められると逆に表現の幅が広がるような気がしている。何事も勉強である。