「リアルオプション」的新規事業の意思決定
金融工学を背景にしたプロジェクト評価の考え方「リアルオプション」。
新規事業のような不確実性が高いプロジェクトの意思決定にリアルオプションを活用することの利点などを解説します。
DCF法、NPV法の限界
事業投資の意思決定をする際によく用いられる考え方に「DCF法」や「NPV法」があります。
DCF法:事業が生み出す期待キャッシュフローを割引率で割り引いて価値を算出する方法
NPV法:投資により生み出されるキャッシュフローの現在価値(PV)と初期投資額の比較でその投資を評価する方法
しかしこれらの意思決定では、
不確実性が高い事業は、評価が下がってしまう
「いま投資するか否か」以外の柔軟な選択肢──例えば、投資判断を延期したり、まずは半分の規模で投資して残りは結果を見て判断したり──を考慮しない
といった問題点もあります(*1)。
そこで有効になるのが「リアルオプション」のアプローチなのです。
リアルオプションの有効性
リアルオプション的な投資判断においては、まず初回は小さく投資し、その状況を見て不確実性が下がったところで追加投資や撤退など、持っていた「オプション」を実行します。ここで言う「オプション」とは「選択肢を行使できる権利」の意味です。
例えば、進出を検討しているA国の経済成長率は3%〜15%の間。3%では採算が取れないが、15%なら非常に収益性が高い。
こうした状況に対してリアルオプションの考え方では、
まずは予定していた規模の3割程度で参入
その後、時期を空けて成長率が高ければ追加投資
成長率が低ければ撤退する
といった判断を下すことになります。
つまり、「ダウンサイドの幅を抑え、アップサイドのチャンスを逃さない」ことがリアルオプションの利点なのです(*2)。
新規事業開発におけるリアルオプション的アプローチの利点
とりわけ新規事業開発においてリアルオプションを用いることの利点は「新規事業の不確実性を生かせる」ことにあります。
従来のDCF法やNPV法では、通常、不確実性が高いと高い割引率が適用されたり、または不確実性の幅が広すぎて合理的な検討ができず、却下されたりする傾向にあります。
しかしリアルオプションの考え方では、不確実性が高いほど、決定的な選択を後ろ倒しにした価値が高まります。つまり、不確実性が高いほど、行使できる権利の価値(オプション価値)も増大するのです(*3)。
またリアルオプションは、リーン・スタートアップのアプローチとの親和性も高いとされています。従来のDCF法やNPV法では、検証と改善を繰り返しムダなく追加投資をするリーン・スタートアップアプローチを評価しづらい一方で、リアル・オプションであれば、一定の評価を下すことができます。
リアルオプションが有用なケース
さて、リアルオプションが有用なケースとしては、次のような場合が考えられます(*4)。
1:事業環境の不確実性が高い
上述した通り、新規事業のような不確実性が高い環境下で有効です。逆に、確度高く投資対効果を予測できる場合にはリアルオプション型を志向するメリットは薄いと言えます。
2:投資の不可逆性が高い
工場建設のような「いったん投資すると撤回できない(=不可逆性が高い)」投資では、その投資が下ブレした場合に、資金や経営資源を取り戻せないといった大きなリスクを抱えています。このような場面でこそリアルオプション型の投資戦略が有用なのです。一方で不可逆性が低ければ、「結果がどうあれ投下した分を事後的に取り戻せる」ため有用性は低いでしょう。
3:オプション行使コストが低い
あるオプションの行使コストがあまりにも高いと、オプションを行使できないか、またはしづらくなります。このようなオプションの行使がしづらい場合にもリアルオプションは有効とは言えません。
リアルオプションにおける7種類の権利行使
オプションには、主に次のような種類があります(*5)。
延期オプション(Optiontodefer)
概要
不確実性が高い事業環境下で意思決定を先延ばしできる権利
投資を延期した場合の期待キャッシュフローの現在価値(PV)
権利行使価格
投資額
具体例
天然資源の開発や不動産開発など、事業を延期しても他競合が参入してこない事業など
コール/プット
コールオプション
段階的オプション(Timetobuiltoption)
概要
市場拡大に合わせて段階的に投資して、事業を拡大できる権利
次のステージ期待キャッシュフローの現在価値(PV)
権利行使価格
次のステージに進むのに必要な投資額
具体例
医薬品事業などのR&D主導型事業や、電力、資本集約型事業など
コール/プット
コールオプション
拡張オプション(Optiontoexpand)
概要
市場の成長に応じて、追加投資で事業を拡大できる権利
事業拡大に伴う期待キャッシュフローの現在価値(PV)
権利行使価格
事業拡大に必要な投資額
具体例
不動産開発や小売業の出店拡大など
コール/プット
コールオプション
縮小オプション(Optiontocontract)
概要
不確実性の下で事業を一時中止あるいは再開できる権利
事業の中止/再開による期待キャッシュフローの現在価値(PV)
権利行使価格
変動費
具体例
天然資源開発のような、製品価格の下落が変動費で賄えない場合など
コール/プット
プット/コールオプション
廃棄オプション(AbandonOption)
概要
事業環境の悪化を受けて事業撤退できる権利
事業継続に伴う期待キャッシュフローの現在価値(PV)
権利行使価格
事業資産の清算価値
具体例
事業環境が悪化して固定費が賄えない事業など
コール/プット
プットオプション
切替オプション(Optiontoswitch)
概要
事業環境の変化に応じて投入物や産出物を変更できる権利
転用により増加する期待キャッシュフローの現在価値(PV)
権利行使価格
転用にかかるコスト
具体例
石油精製事業者がガソリンから灯油へ生産切り替える場合など
コール/プット
コールオプション
成長オプション(Optiontogrow)
概要
将来、オプションの行使に価値があると判明したときに投資を成長させる権利
事業成長に伴う期待キャッシュフローの現在価値(PV)
権利行使価格
事業成長に必要な投資額
具体例
生産能力を低コストで増強できるように設計して工場を建設するなど
コール/プット
コールオプション
リアルオプションの普及率
しかしながら、日本国内ではまだまだリアルオプションの考え方は浸透していません。
J. R. Graham and C. R. Harvey, “The Theory and Practice of Corporate Finance: Evidence from the Field,” forthcoming in the Journal of Financial Economics, 2001 をもとに制作
一方アメリカでは、投資意思決定時のリアルオプション利用率は約27%とされています。
リアルオプションをなぜ利用しないかを聞いたアンケートでも、米国の投資意思決定者が
マネジメントの支持がない
DCF法がすでに実績がある
過度な知識が必要になる
過度にリスクをとることになる
といった実務レベルでの回答をしている(*6)のに対し、
日本では
社内での理解がない
計算方法が複雑である
などいまだ導入段階で足踏みを続けていることがわかります(*7)。
リアルオプションの限界
ここまでリアルオプションの利点や有効性を見てきましたが、もちろん課題もあります。ここでは、リアルオプションの限界として5つの類型を挙げます(*8)。
モデルリスク(ModelRisk)
金融市場から得られる情報が不十分で、モデルが示す解と理論上の解の差によってモデルリスクが生じることがあります。単純な短期オプション契約では小さくても、複雑な長期の契約では、モデルから導き出される解が現実からかなり乖離するおそれがるのです。
不完全な代替(ImperfectProxies)
例えば、セントルイスにおける12月の天然ガスの価格に対して、オプションを購入したと考えます。ところが購入できる天然ガスの先物は、ニューヨークでの価格を対象としたものかもしれません。12月の天然ガスの価格がセントルイスとニューヨークで異なった場合、これは不完全な代替です。
観測可能な価格の欠如(LackofObservablePrices)
戦略的意思決定をする際に、与えられる時間内に価格の情報が得られない場合があります。過去の経験や推測に頼れば、オプションの価値をすべて享受できません。一方で、今後は価格データをより迅速に伝える技術の普及によって問題は緩和していくとも考えられます。
流動性の欠如(LackofLiquidity)
実物資産と流動の少ない株式に共通する問題は、流動性の欠如です。売買高があまりにも低いため、ちょっとした取引量の増加ですぐに価格が乱高下してしまいます。たとえば、資産を売るオプションを行使しようとすると、それは売る意図を示唆するものとなり、それがさらに価格を下げてしまうかもしれません。
プライベート・リスク(PrivateRisk)
多くのリアルオプションはある企業に特有のリスクに大きく左右されます。プライベート・リスクは多様な形態をとっており、例えば、宣伝キャンペーンの成功可否や、特定の社員の能力欠如などが挙げられます。
コラム1:リアルオプションに関するユニークな考察
ある分析(*9)では、「ある国で起業が活性化されるかどうかは、その国の『倒産法』に影響される」との仮説を立てました。
これは、仮に事業に失敗しても起業家が多大な負債を負わないで済んだり、倒産手続きが簡潔に済んだりするのであれば、撤退による金銭的、時間的、精神的なコストを小さくできるため、倒産しやすいほど、撤退オプションの価値が高まり、起業が促されるのではないか、との考察です。
実際に、世界各国の19年間のデータを基に倒産法とその国の起業の活性度の関係を統計分析したところ、仮説を支持する結果を得ています。
コラム2:「オプション理論」の経理理論への発展
今回、事業への投資判断にリアルオプションを活用しようと試みてきましたが、もととなるオプション理論が生まれたのは金融工学の分野でした。
およそ1970年代にマイロン・ショールズやロバート・マートンらがオプションの価格算定式「ブラック・ショールズ方程式」を開発したことが基礎になっています。
その後1984年に、スチュアート・マイヤーズ(MIT)らがオプションの基本ロジックは企業の事業投資にも応用できることを提唱し、1990年代以降はリアルオプションを経営戦略にも応用しようとさまざまな考察がなされてきました(ブルース・コグート(コロンビア大)、エドワード・ボウマン(MIT)、イアン・マクミラン(ペンシルベニア大)、シェフリー・ロイヤー(コロラド大ボウルダー校)ら)(*10)。
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