【試合に勝つためのテニス観戦】ウィンブルドンの奇跡〜R.フェデラーvs N.ジョコビッチ Wimbledon2019Final〜
伝説の試合 Wimbledon2019 Final
記憶に新しい方も多いだろう。
2019年7月14日、復活の王者であるフェデラーと、絶対王者のジョコビッチ。
シード選手が次々と早期敗退する中、彼ら二人は順調に勝ち上がっていく。
ベスト8以降では、フェデラーは錦織圭やナダル、ジョコビッチはゴファンやRBA(ロベルト・バウティスタ・アグート)を倒して決勝へ進出。
4時間57分の死闘
ウィンブルドン8回優勝のフェデラーと、2018年優勝のジョコビッチ。芝の頂上決戦は一筋縄ではいかないという予想が現実となる。4時間57分もの死闘を経て、ジョコビッチが2連覇を果たしたのだ。
ドラマとして語るだけでも、この試合は名場面がいくつも存在する。しかしこの試合は、テニスという競技の特殊性に関して、示唆に富んでいるのだ。
獲得ゲーム数が多いのに負ける!?
この試合の歪な構造の1つ目は、両者の獲得ゲーム数である。
フェデラーはジョコビッチよりも4ゲーム多く獲得しているにも関わらず、敗退を喫しているのだ。さらに驚きなのは、そのポイント獲得数である。
獲得ゲーム数も得点も、フェデラーがジョコビッチを上回る。しかしジョコビッチが勝利する。これには、テニスの構造が大きく影響している。
ゲームの構造からテニスを考える
他のスポーツと比較して、テニスの試合はルールが特殊なのだ。
例えばサッカーであれば、90分間の得点数で勝敗が決まる。バスケットボールや野球、ラグビーなども、勝敗の決まり方は一緒である。
同じラケット競技である卓球やバドミントンは、少し構造が異なる。得点数ではなく、獲得ゲーム数によって勝敗が決まるからだ。これらのスポーツでは、得点数が少ないが勝利する、というパターンは十分にあり得るのだ。
しかしテニスは、これらのスポーツとはさらに構造が異なる。「ポイント→ゲーム→セット」という過程を経て、ようやく勝利に結びつくのである。その他のスポーツに比べて、必然的に得点の重要性というのは低くなるのだ。
Winner至上主義の弊害
動画を開けば、選手たちのスーパーショットで溢れかえる。しかし、そのスーパープレイから生まれた1点も、ミスから生まれた1点も価値としては同じ。しかもそれは、セット獲得数で考えた際に、試合の勝利に大きく結びつくわけではないのだ。
プロの試合を見て試合に勝てるようになる人と、ならない人の違いはここである。
勝てない人は、1点1点に注目して観戦する。一方で勝てる人は、ゲームやセットを俯瞰して、配球や選択を考える。
特に我々のような一般のプレーヤーが試合に勝利するには、「いかに得点を取るか」ではなく、「いかにセットを取るか」という考えから出発しなくてはならないのだ。
最後に
今後は「動画では伝わりきらないテニスコンテンツ」を、Youtube以外の媒体で発信していきたいと思います。なにぶん新しい挑戦ですので、ご意見等々、コメントにてお待ちしております!
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