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ゴーリーコーチの野本経歴編③(ACL~現役引退編)
どうも、ゴーリーコーチの野本です。
前回は岩手大学を卒業してFALCONSで2年プレーしていた事を綴った。
そんな感じで、今回は大阪でACLに入団して日本代表に自薦で滑り込み落選して現役を終える過程を綴ろうと思う。
なんか長くなったので、ヒマな移動時間にでも読んで貰えたら幸いです。
【ACL入団】
FALCONSの同期が元々ACLにいた事や、早稲田出身の代表プレイヤーがいた事もありACLへの入団を大阪に行く前に決める。
ただFALCONSの環境が当たり前だと思っていたので、練習に参加して驚きを通り越して呆然とした。
学生との合同練習に4人しかACLがいなかったり、単独練習に集まるのが10人弱でゴールが無かったり、逆に練習試合になると急に知らなかったメンバーが参加して人数が増えたりと、今まででは考えられない環境だった。
宅建を勉強するから練習1ヵ月休みます!と連絡があったプレイヤーをその夜、梅田の飲み屋でたまたま見つけて練習に無理矢理参加させたり、
練習試合に遅刻したまま姿をくらまして、LINEで『遅刻したので辞めようと思います』と連絡があったプレイヤーを、梅田の飲み屋に連れ出してそのまま練習に来させたりとこれまででは考えられない刺激的な環境だった。
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それ含めて移籍して色々なギャップに苦しむコトになる。
ただ、チームの人数や練習の環境が悪くなったのは間違いないが、個人個人のラクロスのレベルは東京と比べて低いとは思わなかった。なんなら日本トップで通用するプレイヤーが僕が関西にいた時は何人もいた。
そのプレイヤー達とラクロスをする事で、FALCONSの時と違った色々な景色をみる事になる。
【ACL1年目~下手くそな紫メットの野本~】
関西に転勤で来た東京出身のラクロッサーあるあるで、最初はモチベーション落ちる人がほとんど、ご多分に漏れず僕もそうなった。
チームの人数が少ないから練習がまともに出来ないコトが大きな原因。
日本代表になるために大阪に来たにも関わらず、環境くらいでモチベーションが下がるなんて本当にダメなやつだと思うが、あの当時は関西の文化を理解出来ていなくてFALCONSのような環境を関西に求めてしまっていた。
更に大阪という魅惑多き街の雰囲気にのまれてしまった。
転勤した4月~5月のゴールデンウィークまではラクロスをした記憶よりも、梅田でACLや会社の人と飲んでた記憶が濃い。
その時、ゴールデンウィークにU22日本代表と関西代表が試合するという事で試合に出場する事になる。
U22代表には関東でシュー練してた後輩や、岩手大学時代の後輩が選出されていて社会人の力を見せつけてやろうと思ってた。
ただ、結果は惨敗。
当時ACLのヘルメットが無かったのでFALCONSのヘルメットを使っていたが、
試合が終わった後に『FALCONSなのにそんなうまくないな』と聞こてきた。
この時ほど恥ずかしい事は無かったし、FALCONSのメットが邪魔だと思った事はない。
そして関西で上手くなる環境をつくるために尽力する。
【少数精鋭すぎるACL】
ACLでプレーした3年間で何試合試合に出たのか本当に数えきれない。
先にも書いたように、練習だと人が集まらないので試合を組むというのがACLの文化。
フライ無しの10人で試合する事もあったし、ショートが足りなくてロングがオフェンスに参加する事もあった。
極めつけは京都でやった夏のリーグ戦で、ショートが何人か熱中症になったのでゴーリーがフィールドプレイヤーとして出場する事もあった。
冗談のような話しだが本当の話し。
ただこの経験が『ゲームメイク』という観点で今も活きている。
10人で勝つために試合をどのように展開するか。
個人でもチームでも試合の中で与えられた状況で何が出来るのか、少ない人数で何が出来るのかを80分(ルール改正前なので20分×4Q)戦う稀有な経験が詰めた。
試合に出続ける事で、ゴーリーは本当に上手くなる事を徐々に感じたACL1年目だった。
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【学生と育つACL】
単独練習では人数が揃わないコトが多いので、練習は基本学生と行うのがACLスタイル。
練習試合の予定でACLの人数が10人に満たない時は相手の学生から何人かレンタルする事もあった。
そんな事もあり、学生とは持ちつ持たれつの関係だった。
特に印象的なのが当時関西トップ校の大阪大学と3部の京都大学。
大阪大学は家が近い事もあり、毎週金曜日は仕事が終わればそのまま社用車で大阪大学に乗り込み2時間マネージャーもつけてシュー練を行い、学食を学生と食べて家に帰る流れ。
最終的にはアフターだけには飽き足らず、平日の朝練に社用車で乗り込み7時~10時くらいまで練習に参加させてくれた。
懐に入れば、基本何でも許してくれる関西人あっての優しさだった。
この時一緒に練習していたプレイヤーがACLやSTEに入団して一緒にラクロス出来たのも個人的には感慨深い。
京都大学は大阪大学とは違い、僕が関西にいた時は事情があり3部のチームだった。
ただ、チームで海外遠征を行う事や、仮想リーグ戦と際して、3部でありながら1部の学生チームを全て倒し、FALCONSと試合を行い勝つことを目指していた。(実際に1部の学生を全てなぎ倒していたから凄い、、)
京都大学は大阪大学とは違い、1ヵ月に1回定期的に試合を行い、シーズン終盤にはグラウンドに学生の保護者を招き試合用ユニホーム(勿論ACLがアウェー)を着用し、雰囲気全日準決勝のような状態で試合をする事もあった。
社会人に負けて、あそこまで本気で悔しがる学生も珍しかったし、試合が終わった後に質問してくる学生のガツガツ感も凄かった。
先の話しになるが、僕が岩手大学のコーチになった時に『京都大学男子ラクロス部』のような組織が最高の組織だと考えたのは、そんな学生の本気の姿勢があったからだと思う。
大阪大学も京都大学も決してスマートなラクロスをする大学ではないが、我武者羅に目標を追いかける姿が僕を含めたACLを成長させてくれた。
この明確なライバル関係は関東には中々ない距離感だったと思う。
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そんな環境で1年目上がらなかったパフォーマンスが2年目になり徐々に上がり、2016年シーズンを終えたタイミングで初めて日本代表候補に選出される。
【自薦で日本代表へ、そして落選】
2016年シーズンが終わったタイミングに自薦で日本代表に潜りこむコトが出来た。
選考会から代表練習会に残り、本メンバーに選出されるが最終的に落選。
期間にして4ヵ月の代表活動だった。
2018年のワールドカップ出場を目標にしていたので、このタイミングでの落選はもう取返しが効かないものだった。
ACLの練習が終わりLINEで落選の連絡があった時は普通にショックで、ぶつけようのない悲しみを昼食のココイチでライス1キロカレーにぶつけたのを何故か覚えている。
人伝えに聞いたが、落選した理由はいくつかあるが、最たる理由は『セーブのフォームやバランスが悪い』ことだったらしい。
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自身としても代表になる事が先立ちすぎて、その後のイメージがまったく出来ていなかった。
端的にいうと手段を目的にしてしまっていたため、意識のレベルが周りに比べて低かったのだと今は思う。
後悔は全くしていないが、勿体ない事をしてしまったのだと今でも思い出す。
【転職で東京へ。そして引退】
代表に落ちた反動は仕事にも波及してしまった。
当時は教師になる事を目標として、民間企業で経験を積み教師になろうと考えていた。
関西で学生と練習していく中で、就職に困る学生と話す機会があり優秀な学生が就職に悩み最終的に投げやりになっているのを何度か見た。
なので教師になる前に就活や転職のアドバイスを出来るようになり、キャリア教育を教えられる人間になろうと考えていた。
代表に落ちて、焦りにも似た感情で仕事を改めて頑張ろうと思った事や、転職を決めて有給期間にオーストラリアでラクロスをしようと短絡的に考え転職を決意。
ただ仕事のキャリア的にはこのタイミングで転職したのはベストだったが、転職を決めたタイミングで僕のラクロスキャリアは実質終わっていた。
2017年10月に東京に戻り、そのシーズンは東京から大阪にほぼ毎週通いラクロスをした。
結果、全日に出場する事もできず再度代表に呼ばれる事もなく、挙句の果てに試合でケガをしてしまいラクロスから遠ざかる。
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試合に負けて東京に帰る新幹線で、
折れた脇腹の痛みと2か月間大阪に通うために使った30万円弱の費用、転職で200万円弱年収を下げた事で4分の1になった部屋の広さを思い、本気で自分には何もなくなったと思った。
2018年シーズンはVALENTIAに所属し関東でプレーするが、土日の出勤や毎日の仕事に忙殺されパフォーマンスは上がる事もなくシーズンを終え現役を引退した。
これが大学に入学してから現役を辞めるまでの9年間。
【ACLというチーム】
先にも少し書いたが全国広しといえど、こんなに飲んでこんなにラクロスをしているチームは無いと思う。
僕が在籍していた当時のFALCONSは全体の飲み会が年で2~3回だったが、ACLは色々なイベント合わせるとほぼ毎週飲み(固定されたメンバーで)に行ってたと思う。
最初はラクロスにやる気がないからそうするのだと思っていたが、ある時気づいたが関西人特有の切り替えの上手さあっての事だったと思う。
あくまで主観だが、関西人は『今を楽しむのが上手い』
試合中に大差で勝っていたり、負けていたりするとわかりやすく個人プレーに走ったりする。
試合という時間を使って、ノビノビと自分やりたいプレーをやって、派手に失敗しても悪びれないスタンスは最初信じられなかった。
このエピソードを書いていて思い出したが、
小学生の時札幌ドームに阪神戦を観に行った。
隣に座っていたおじさんと一緒に試合序盤は阪神を応援していたが、阪神が劣勢になるとおじさんは相手チームへの野次と、お気に入りの選手の応援しかしなくなった。
小学生の僕は阪神の攻撃の時に1番から9番までメガホンを使って応援したが、おじさんは赤星の時しか応援していなかった。あとは相手に対してのえげつない野次。
ACLもこんな感じ。
競る試合の時はゲームのど真ん中に飛び込むような集中力があるが、そうじゃない時は自分がやりたい事だけを真剣にやってみる。
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ただここで感じた雰囲気が今の自分に良い影響を与えている。
ラクロスは野球と違ってタイムゲームなので、試合途中に絶対に勝てない点差or負けない点差がつく時がある。
その時に精神論で『最後までがんばろうぜ』と抽象的に頑張るのではなく、関西人的に『この試合を使って個人orチームでこれを試してみよう』と次に繋がる諦めや挑戦が出来るようになった。
この切り替えが出来るから、人数が少なくとも試合を通して個人のスキルが高くなるのだと思う。
完全に独断と偏見だが、
関東のトッププレイヤーは全てが上手い。
関西のトッププレイヤーは何か1つだけえげつないレベルで異常に上手い。
こんな特色があった気がする。
ラクロスを上手くなる事に思い悩んでいる人がいたら、関西に武者修行してみるのが良いと思う。
厳しくも大らかな雰囲気でラクロスをする事で、シンプルに自分がやりたい事を出来ると思う。(特に社会人は)
また、ACLとは違うが関西というエリアの恩恵もあり、関西代表としてホフストラ大学や香港代表と試合を出来た事や、
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転職期間の有給を使いオーストラリアでラクロスを出来たのはシンプルに良い経験だった。
メルボルンに行く際にトランジットのケアンズで便の接続が上手くいかず、
たまたま一緒の便に乗っていた日本人の女性と半日時間を潰したが、特に何が起きる訳でもなく、ドラマは起きないのだと悟った。
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軽めの差別をされた事もあったけど、ラクロスというスポーツに触れているだけで色々な国の人と触れ合えるのは楽しいので、学生の間に海外に行ける人は是非挑戦して欲しい。
僕自身もnoteを書いている今、オーストラリアの友達から連絡があったので、2023年にオーストラリアに1ヵ月ほど滞在してまたラクロスをしてみようと考えている。
そんな感じで今回は締めようと思う。
次回は岩手大学コーチ編を綴る。
東京から岩手に対してコーチをして学んだ事を落とし込めればと思う。