あけまして何がめでたい
昔から「あけましておめでとうございます」と言えない。
世の中めでたくない人もいるからだ。
たとえば私のお向かいに住んでいる余命宣告されて手の施しようのない、袋をぶら下げて日中ずっと横になっている一人暮らしの末期がんのおじさんに「おめでとうございます!」とは言えない。
昨年も大変お世話になりありがとうございました。今年もよろしくお願いいたします。と言い換える。
考えすぎだと言われるかも知れないが私は生まれてこの方マイノリティの側にいるので(取り立てて望んだ訳では無い)常に敗者や弱者の視点で物事を考える癖がついている。
だからヤクルトスワローズのファンなのではあるが、これはまた気が向けば別の回で書く。
とかく世の中、HappyやPositiveの押し付けにあふれている。
たとえばデコピン。
完全無欠の聖人君子、超人大谷翔平に飼われている毛並みの良い利口で従順なプードル犬である。
いや、プードルでは無いかもしれない。なんたらセッツァーとかなんたらテリアかも知れないがそんな事はどうでもいい。
とにかく今あれに文句を言う事はかなり勇気がいる。
別にデコピンが憎い訳では無い。もちろん大谷に恨みは無い。
いや、私はフィラデルフィアフィリーズファンなので大谷と敵対する立場にはあるが去年はドジャースには全勝しているので寛大になっている。
テレビであろうがネットであろうがあれをのべつ幕なしに可愛い可愛いと押し付ける風潮に嫌気がさしてしまっているのである。
イヤなら見なければ良いというレベルでは無いほど世の中デコピンで溢れかえっている。デコハラと言いたいほどである。
さぞかし犬嫌いの人は地獄のような日々を過ごしているだろう。
「あんな可愛い犬が嫌いなんて、どんだけ根性が歪んでいるんだ!」などと決めつける風潮もあろうが、小さい頃に近所のスピッツ犬に吠えつけられたり噛みつかる等して嫌いになった人に対してそのような事を言えるだろうか。
そんな人達の逃げ場がない。
デコピンを可愛いと思うのは良い。ただ多様な意見が尊重され、選択肢が与えられるべきだと言いたいのである。
もちろん聞くに値しない暴論もあろうがそれはまた別とされたい。
少し脱線するが、ちなみに犬には鏡像認知はないがイカには鏡像認知があるらしい。利口な犬ほどの知力、記憶力を有しているらしい。またイカには痛点があるらしい。
そんなイカを活け造りにして踊り食いするなんて、と常々思っている。
新鮮な方が美味いかしらんが、そこまでして美食を希求する必要などあるのだろうか。多少味が落ちても良いではないか。
食べるなという訳では無く、せめて速やかに絞めてやって欲しいと思う。武士の情けである。
実はこの年末年始は小林正樹の映画を観て過ごしておりましてですね、切腹とか人間の條件とか。感化されてつくづく全体主義思想は危険だと思った次第であります。
デコピンを例えに出すのはいささか大げさかも知れないと侮るなかれ。
見かけの良いものの裏には汚いものが必ず存在しており、汚いものの目くらませに見かけの良いものをあてがうという事に留意したい。
デコピンうぜえ、という自由を。