ネットカフェ難民だった頃の話
私の話をすることが苦手だ。
昔からあらゆるSNSに手を出したり人と会うと余計なことまで話してしまうくせに私は私の話ができない。それは相手を信用していないからとか自分のことを良く見せたいからという理由とはまた少し違った。
ただ聞かれたくないことが多すぎた。自分のことを知られることは良くも悪くも恐怖でしかなかった。
だけど、いい加減もうそういうのを辞めにしないと先がないと思った。無理矢理にでも私は私のことを人に見せたい。そして私を知りたい。
だから私の話をします。
いつかの春先、家賃の滞納が続いて住んでいたアパートを退去することとなり三ヶ月ほどネットカフェで暮らした。
スーツケース一つにリュックとトートバッグ一つ。荷物はそれがすべて。
暑くも寒くもない季節で雨も少ないことだけが幸いだった。日中は主に公園で過ごして、夜になったら12時間パック1,000円という破格のネットカフェで丸まって眠るような生活だった。
食事は食べられる時は食べたけど基本的にはお金がぜんぜんなかったのであまり食べてなかった。1円足りなくてパンが買えなかったりしてただ情けなかった。
失うものも守るものも何もないので何だってできるだろうし死にものぐるいで人に助けを求めたらいいのにと思ってもそれを選ぶことができずにいた。
頼れる親族はいなかったけど少ないながらも友人はいた。
友人たちはとても優しい人で事情を話したらきっと心配してくれただろうし何かしら力になってくれたと思う。だけど私は話せなかった。もう失うものなんて何もないと思ってるくせにその反面で誰かと過ごす、私が唯一普通の人の振りをできる場所を失うことが怖かった。
このままではそこに戻ることができるかなんてわからないのに。結局、私は見栄っ張りで後先を考えずただ行動しているだけだったのでしょう。
死にたいわけではないけど死ぬしかない状況だろうなとは毎日思っていて、リュックの中に大切に閉まっていた処方されてからぜんぜん飲んでなかった睡眠薬をお守りのように感じていた。
今、振り返って思うとぎりぎりの中で物事を考えることも正しい選択も死ぬことすらもできない精神状態だったんだなあと思うけど、それにしたって私は何も考えてなさすぎだし何もしてなかった。
夏のはじまる少し前にその生活から脱して私は今も生きている。
今もとてもいい状態なわけでもないし相変わらずお金もないし解決してない問題なんて山ほどある。またいつあの時のような生活に戻ることになるのかわからない。だけど私は簡単に変われずにいる。あんなに大変だったくせに自業自得で痛い目にあったくせに変わらない。頭の悪い私は喉元すぎて簡単に全てを忘れすぎてる。
「これからの人生をどうする?」と、自分に問いかけてみる。
その答えはでていないけど、生きていくために変わらないといけない。変わりたい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?