プジョー106とそれを降りるまでの経緯について
なぜか、車を趣味にしている人の中ではマニュアルが至高、という考えがある。俺の中にもそういう考えはあって、イニシャルDとか見て育ったから、やっぱシフトガチャガチャするのはかっこいい。そういうわけで、昔からマニュアル車に憧れがあった。
しかし、それ以上に理由として大きかったのが、「オートマに対するコンプレックス」だった。俺は最初の車が二代目ロードスター(オートマ)だったんだけど、その代でオートマのロードスターは少々めずらしいらしい。というわけで、周りの車好きとかのおっさんとかも、マニュアルを前提として話してくる。まあ、それが恥ずかしかった。ロードスターは大好きなはずなのに、オートマってダサいよなあ、みたいなことをよく思ってた。だから、オートマともマニュアルともとれる微妙な返答ばかりしていた。
そういうわけで、俺は2023年の9月にオートマの限定解除を行った。その月に、すぐにマニュアル車を見に行って、なぜか左ハンドルのマニュアル車を購入した。それはプジョー106という車だった。2ドアのハッチバックで、今写真を見てもドキドキするような、愛嬌とかっこよさを併せ持った車だった。
ついに俺もマニュアル車オーナーだ。しかも、左ハンドルのマニュアル車ときた。もう誰も文句は言えまい、と思っていた。
ただ、こいつを1台目に選んだのは不正解だった。フランス車全体に言われることだけど、とにかく壊れる。というか、納車された段階で壊れてたんだと思う。始めは、高崎駅に友人を迎えに行く途中だった。信号待ちをしている最中に、アイドリングが下がって勝手に止まるという現象がおきた。その後、どこに行くにしてもその現象が付きまとって、結局通勤以外はほぼ運転しなくなってしまった。
そういう現象を治したくて群馬県のフランス車に強いショップに行くんだけど、ここでもロクでもないことが起こる。「治らない」ということだった。作業が終わりました、と言われて工場に取りに行ったら「この車の持病かもしれません」「どれだけやっても治らないかも」というふうに言われたのだ。ただただ、ショックだった。
結果から言えば、無駄に診断料ばかり取って、結局やったのは簡単な清掃だったらしい。あとはドラシャのブーツとか、別に症状とは関係ない部分ばかり提案されて、俺もそれを鵜呑みにしてしまったので(少なくともそのときは次の車検を受けるつもりだったので)金ばかりが飛んでいった。トータル15万円ほど払って、何も良くならなかった。
運命の力ってあると思う。購入した車屋といい、修理工場といい、とにかくロクなものではなかった。それよか、20年落ちのフランス車など、車の初心者がおいそれと手をだして良いものではなかった。俺が手放すことを決めたとき、フォロワーが「同じ”クルマ”のなかでも、JPOPからイタリアのプログレみたいなものまである」と言っていて、確かに、と思ったことを覚えている。俺は、イタリアのプログレをいきなり聞き始めたわけだった。
その後も、1気筒失火や、メーターが動かなくなる、燃費が5km/Lになるなど、色々なトラブルがあった。
そういうわけで、手放すことを検討し始めた。すごく好きな車だったので、取り憑かれたようにこの車に乗り続けることだけを考えていたが、金銭的な問題や、自分のメンタルの部分がそれを許さなかった。
職場でも「最近ツラそうだよね」と言われる回数が増えていた。それでも俺は乗り続けたい、と考えていたが、付き合いの長い友人の「もう降りたほうがいいんじゃない」という一言で、やっと決心ができた。
この車が好きで好きで、買ったときは本当に嬉しかった。色んな人に話しをしていたので、売ることを決めたときに、自分が裏切りものになったような気分だった。車を購入したときについてきてくれた友人や、一緒にツーリングを約束した友人、同じプジョー乗りだ、と喜んでくれた友人、お祝いでステアリングをくれた友人など、全てに対して申し訳無さを感じた。結果、SNSのアカウントを消したりしていた。
売却して残ったのは、一部のフランス車にしか適合しない変なサイズのタイヤと、マニュアル車に対するトラウマと、フランス人のモノづくりに対する悪いイメージと、100万円近い負債だった。それでも、俺はほっとしていたのだった。仕事よりも、治らないフランス車のほうが、よほど悩みの種だったのであった。
最近、やっとこの出来事を乗り越えられたと感じたので、書き残しておく。