「なんでGOに入ったんですか?」と聞かれがち。 クリエイティブ・ディレクター 砥川直大
おかげさまでGOの名前を知っていただく機会は増えましたが、GOの中にどんなメンバーがいるか、ご存じない方もいらっしゃるのではないでしょうか。
ここで発信していくのは、GOメンバーのポートフォリオ。
コーポレートサイトだけでは伝えきれないメンバーたちの強みや私生活のあれこれについて、できるだけくわしくお伝えしてまいります。
The Breakthrough Storiesの初回は、クリエイティブ・ディレクター 砥川直大(とがわなおひろ)。
GOの社員第一号として入社して以来、スタートアップからナショナルクライアントまで様々な案件に携わり、最近ではSDGsやサステナビリティなど社会課題と向き合う案件も多く担当している砥川に、入社前から現在に至るまでの経緯を聞いてみました。
転局試験を受けて、営業からCMプランナーへ。
——GOに入る前は何をしていたんですか?
2003年に新卒でADK入社してから、しばらくの間は営業をしていました。ただ、ものをつくることへの憧れもあり、転局試験を受けてCMプランナーになりました。
——CMプランナーになってからはどんなことを?
最初の2年くらいは本当に鳴かず飛ばずで苦しい思いをしていましたが、色んな方のサポートと様々な機会に恵まれて、結果的にすごく充実した14年だったと思います。中でも思い出に残っているのは、NHKでも特集されたドミノ・ピザ ジャパンのダジャレキャンペーン、『WOW WAR TONIGHT』をアレンジした壮大なゲームCM、ローラさんと二人三脚でつくったJR九州のキャンペーンなどです。
最終的には海外広告賞の審査員を務めさせていただいたり、クリエイター・オブ・ザ・イヤーのメダリストになったりするなど、ADKの中では評価してもらえるキャリアを順調に歩んでいたように思います。
——なるほど。そのまま活躍する未来は充分に見えていたかと思いますが、どうして転職されたのでしょう?
ADKではすごく居心地が良く、環境に甘えてしまう自分がいて……。このままでは成長が止まってしまうと思い、40歳を前に(当時37歳)もう一度チャレンジしたいという思いが大きかったです。行き先を決めずに転職を決意しました(今思うと、そんな判断に賛成してくれた妻に感謝です)。
——当時、GOは創業期のスタートアップだったかと思いますが、どんな経緯で知ったんですか?
クリエイティブ・広告の雑誌『ブレーン』のインタビュー記事がきっかけです。
その中で三浦が話していたのは、PR・広告業界で新しい会社をつくるということ。商品のプロモーションだけではなく、プロダクトやサービス開発も手がける「事業クリエイティブ」や「レベニューシェア」など、これまでの広告会社とは一線を画するビジョンを掲げていました。創業当初にも見ていたんですが、いざ転職を考えながら読むと、まさに自分がチャレンジしたい領域だと共感し、すぐに会社のお問い合わせに「履歴書送ってもいいですか?」と連絡。そこからGOの正社員第一号になりました。(最初の社員がリファラルではないのはかなりレアみたいです(笑))
(参考)『ブレーン』2017年の4月号一部
「答えは商品の中にある」
——いままでのキャリアで、ターニングポイントとなった仕事はなんですか?
27〜29歳の3年間を過ごした、関西支社での任天堂の仕事です。記事の見出し画像にもなっていますが、当時はWiiやDSが全盛期の時代。年間14,15本の競合プレがあり、プランナーとしてとにかくゲームをプレイしまくる日々を送っていました。
——まさにユーザー憑依ですね。
それしか商品のことを知る術がなかったからでもありますが、きちんとした商品理解を持ってクライアントと同じ熱量で向き合えたことが、信頼にもつながっていったんだと思います。
実は、それまでは「自分がおもしろいことを考えてやる!」と意気込んでいたんです。それこそがクリエイティブだとも思ってました。でも、いちユーザーとして商品にのめりこんでいった結果、伝えたいことがよりクリアになって、「答えは商品やサービスの中にある」ということに気付かされて。ものすごく大きな学びでした。
その後、運と縁も相まって、クライアントからの指名でクリエイティブディレクターを任せてもらうことになりました。「ひたむきにやっていれば必ずどこかで実を結ぶ」いまの自分に大きな影響を与えてくれた3年間です。
——GOに入ってからのベストワークはなんですか?
難しい質問ですね......。GOで最初の案件だったART of SHINKANSENや話題づくりに成功したメルカリのチラシ、雪肌精のリブランディングなど、いくつも思い入れのある案件はありますが、中でもECOALFの「資源を無駄にしない広告」は、ブランド思想の体現方法、おもしろさ、クラフト、実装力、話題性、ROI、すべてにおいてお手本のようなワークだったと思います。文化祭的なノリで会社でシルクスクリーンでペイントしたのもいい思い出です。
——主にどのような領域や分野を得意としていますか? どんなプロジェクトに参加しているのかも教えてください。
商品やサービスの本当の価値を発見し、そこから表現に落とし込んでいくことを得意としています。最近は複数の部署の方が関わるようなプロジェクトも多く、意義を丁寧に説いて全体の目線を合わせていくなど、プロジェクトをリードする役割を担うことが多くなりました。
——砥川さんは、自身のスキルを社会活動に活かすボランティア活動も行っているんだとか。
はい。「プロボノ」と言われる活動なんですが、震災や家族ができたことを切っ掛けに、10年以上前からつづけています。NPO支援や環境活動で得た知識やノウハウを活かして、いまはSDGs、サステナビリティ、社会課題などのテーマに関わる案件も増えてきました。
「なんでGOに入ったんですか?」とよく言われます
——社内ではよく、どんな人だと言われますか?
しっかりしてるって言われます。「任せて安心だ」と。自分でもそう思います(笑)。
「なんでGOに入ったんですか?」ともよく聞かれますね。あまりに三浦のキャラクターと違うからだと思いますが、むしろ「クリエイティブの力で世の中に変化を起こす」「クリエイティブの力を証明する」という根源的な部分では一番合致しているんですけどね。
——社内で「これは負けない」と思うスキル・知識はありますか?
企画書の分かりやすさ。英語と料理も得意です。あと、眉間のシワ(年々深くなってる気が......)。
——“マイベスト”なコンテンツを3つ教えてください。
①『戦争広告代理店』
PR会社による情報操作がボスニア紛争の行方を左右していたという衝撃的なノンフィクション。大学生の時にタイトルに惹かれて読んだ結果、この業界を志すことを決めました。
②「How I Built This」
スタートアップの創業者や起業家がインタビューに答えながら、成功までの道程を赤裸々に語るアメリカのポッドキャスト番組。経営者が最後に必ず聞かれる「成功の要因は『運』か『努力』か」という質問に、それぞれの人柄が現れるのがおもしろいです。
③ねほりんぱほりん
山里亮太とYOU、顔出しNGのゲストが人形に扮して、気になることをねほりはほり聞き出していく人形劇型トークバラエティ。顔出しNGなのに、実際にインタビューしているように人形劇で見せるのは、もはや発明だと思います。同じように人間模様が聞ける「街録ch」も好きです。
——平日でいますぐ3連休をとれるとしたら、何をしますか?
1日目はTODOをこなしまくります。2日目はホテルにこもって読書。3日目は、きっとまだ残っているTODOをこなすでしょうね。
——人生でいちばん負けられないと思った勝負の中身と、その結果を教えてください。
ヤングカンヌの日本予選で運良く優勝して、世界戦に挑んだときです。27歳の夏でした。「これで勝ったら世界一!」まさにエミネムのLose Yourselfのイントロ「If you have one chance,ー would you capture it or let it slip?」と意気込んで挑んだんですが、自分でつくったプレッシャーに苦しめられて結果は出ず。上位に入賞したのは、水着に濡れた髪でオリエンに参加し、結果発表にもいなかったオーストラリアチームでした。色んな意味で完敗です。
——「変化と挑戦」を続けるために、日々意識していることはありますか?
常に社会の課題に敏感であり、その解決のために新しい仕組みや手法、クリエイティブを考え、試し、学び、広めること。また、そのための仲間を増やしていくこと、志ある人の仲間になっていくことですね。そんなことばかりやってると、時に「SDGsおじさん」なんて揶揄されますが、めげずに自分の志事として頑張っていきます。