ハリネズミ as世間知らず
自分は人に恵まれてきていて、その意味で世間知らずなところがあると思っている。
人はみな持っているだろうと思って(期待して)いる思いやりとか好奇心とかが、(特にあってほしいと思うような近い人に)無い、もしくは違いがあることを感じると、
途端に「自分の当たり前や、大事にしている部分が通用しないことがある」ことや「今まで会ってきた好きな人たちとも、どこかの面では決定的に違っているのかもしれない」ということが自分の中に迫ってくるのを感じて、少し怖くなることがある。
そうなると同時に、人に対してどれほど距離を詰めて良いのか(逆に言えば気遣いのしすぎになるライン)がわからなくなって、動きにくくなる。自分がショックをうけることも怖いし、その反動で相手に必要以上に自分の考えを押しつけることも怖いから。そして、世間知らずがバレて恥ずかしい気持ちになるのが一番怖い。
(それは私にとって現段階での第一原理とも言える「人と話すこと」との相克になってしまうから、小さなことでも少し大きめにダメージをうける。
※ここで使った第一原理=自分にとって本質的で意味があると思っていること。好きなことであり、必要なこと。)
…言い直すと、
距離をつめるということは、近づくことによって自分や相手が傷つくかもしれないということがわかっていながら、それでも何かを求めて近づくということだと思う。まさにハリネズミ。けれど、普段あまりそういうことがない私は、しばしばそのことを忘れそうになる。そしてそれを思い出すと途端に怖くなる瞬間がある。ということ。
(※この種類の話をする時にいつも思い出すのは、いつかの授業で先生が言っていた内容。傷つかない/つけないために距離をとるのではなく、一歩踏みこんでみて、その先で傷ついて/つけてしまったら謝る勇気の方が必要だと。本当に大事なことだと思う。)
平たい言い方をしてしまうが、人と違うのは当たり前だけど、やっぱり怖いことだ。
特に、学校とか特定の、固定化された組織・グループから少し超えた(はみでた)ところにいる時には、それに直面しやすい。やはり最終的には個人として、ほかの人(ものごと)と向き合っているのだ、ということがわかるから。やっぱり自分はひとりだ、ということですね。
…だいたいこのくらい考えてから、いつも「なんでこんなこと考えてるんだろう?」と思う。結論は当たり前なことだし。
別に何か決定的な事があって思い悩んでいるわけではないです。(たしかに小さなもやもやが重なって考えるきっかけになってはいるのだけど。)多分、考えてまとめることがヒーリングになっているのだと思う。
考えるのが好きなだけです。
読んでくれた人いたら、ありがとうございます。