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2:わたしの右に座せよ、もろもろの敵を足台とするまで:後半(Ja)

詩篇 110:1 口語訳 
“1 主はわが主に言われる、「わたしがあなたのもろもろの敵をあなたの足台とするまで、わたしの右に座せよ」と。”

●さて、先週の前半部分では、詩篇110篇1節から、
1:「わたしの右に座せよ」、 
2:「わたしがあなたのもろもろの敵をあなたの足台とするまで」
のふたつの言葉に注目しました。 イエス様の救いと勝利によって、イエス様は天で最高権威、全権大使の権威の座に就かれ、私たちがその権威を行使する祭司として生きるのを待っておられます。 
もう一度先週の前半部分で引用したローマ人への手紙5:17の一節を見ましょう。

📖ローマ人への手紙 5:17 口語訳
“17 もし、ひとりの罪過によって、そのひとりをとおして死が支配するに至ったとすれば、まして、あふれるばかりの恵みと義の賜物とを受けている者たちは、ひとりのイエス・キリストをとおし、いのちにあって、さらに力強く支配するはずではないか。”

ここの「支配」という言葉は英語で「Reign レイン」、ギリシャ語で「Basileuo バシレウオ」、「権威を行使する」という意味です。

ではその意味するところは、私たちは誰かや、他の宗教を制圧・威圧して、彼らを力で上回って生きるべきだと言われているのでしょうか? あるいは罪や悪い誘惑、欲を自身の意志力で克服・征服し、まったく悪いことをしない清い生き方を求めるべきなのでしょうか? 
 そうではありません。 ここに同じく「支配する」や「いのち/生きる」という言葉から、私たちの生き方の手がかりになる聖句があります。

📖ローマ人への手紙 6:11-14 口語訳
“11 このように、あなたがた自身も、罪に対して死んだ者であり、キリスト・イエスにあって神に生きている者であることを、認むべきである。 12 だから、あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配にゆだねて、その情欲に従わせることをせず、 13 また、あなたがたの肢体を不義の武器として罪にささげてはならない。むしろ、死人の中から生かされた者として、自分自身を神にささげ、自分の肢体を義の武器として神にささげるがよい。 14 なぜなら、あなたがたは律法の下にあるのではなく、恵みの下にあるので、罪に支配されることはないからである。”

📖ローマ人への手紙 8:11-12 口語訳
“11 もし、イエスを死人の中からよみがえらせたかたの御霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリスト・イエスを死人の中からよみがえらせたかたは、あなたがたの内に宿っている御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも、生かしてくださるであろう。 12 それゆえに、兄弟たちよ。わたしたちは、果すべき責任を負っている者であるが、肉に従って生きる責任を肉に対して負っているのではない。”

ローマ6:11-14より、私たちは私たちの身体を罪の支配にゆだねず、神様の義の武器としてささげます。しかしそれは、「律法の支配下になく、キリストの恵みの支配下にいる」からです。ルールやモラル(道徳)を守ろうと努力することではなく、イエス様の復活を受け、いのちを受け取ることにより自身をささげるのです。

ローマ8:11-12より、私たちは聖霊によって、限りある、弱い身体でも神様のお与えになったいのちを生きます。しかしそれは、肉=自己努力によってがんばる責任を負っているのではありません。その後に続く8章13-17節を読めば、さらに理解が進みます。

📖ローマ人への手紙 8:13-17 口語訳
“13 なぜなら、もし、肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬ外はないからである。しかし、霊によってからだの働きを殺すなら、あなたがたは生きるであろう。 14 すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である。 15 あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。 その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。 16 御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。 17もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである。”

そう、私たちは、神様から聖霊、罪のゆるし、神様の子としての身分、相続、権威を豊かにいただいており、その受け取っているあらゆる恵みを行使するのです。 
 イエス様の下にいる信者が、行使できる何を、どんな勝利・権威を受け取っているのか、そして自身の内にいる聖霊を、感性や感覚などで感じ取ることはできません。
 人間は苦しみや痛みは身体で感じます。悩みや悲しみは心で感じます。しかし聖霊に関することは感じることはできないのですが、 神様の言葉=聖書からのみ、聖書の部分部分ではなく、聖書全体の主題であるキリストの福音を知ることからのみ知ることができます。

📖テモテへの第二の手紙 1:9-10 口語訳
“9 神はわたしたちを救い、聖なる招きをもって召して下さったのであるが、それは、わたしたちのわざによるのではなく、神ご自身の計画に基き、また、永遠の昔にキリスト・イエスにあってわたしたちに賜わっていた恵み、 10そして今や、わたしたちの救主キリスト・イエスの出現によって明らかにされた恵みによるのである。キリストは死を滅ぼし、 福音によっていのちと不死とを明らかに示されたのである。”

聖書から知ると、「神様の言葉=聖書の福音=イエス様」への信頼が深まっていきます。与えられた言葉への信頼は、与えられたいのちを「頂いたけれどもその価値をよく解っていない」状態から、「それをしっかり認知している」状態に変えていきます。
 神様が与えている事、約束している事をよく理解し信頼していると、身体や心が感じる痛みや苦しみ、恐れよりもそれらを上に置くことができます。
 これが「行使」です。 それは信者自身が知識を使いこなすのとは大きく違います。まったくの恵み、まったくの贈り物である神様からのいのちを、受け取る、聴く、知ることで、かえって力を抜いて、ゆだねて、安心して、しかしそれゆえに堂々と、力強く歩むのです。

「祭司の王国=王権の祭司職」である私たちがすることは、イエス様からの恵みによって満たされた、力強いいのちを行使して、罪、貧しさ、病、苦難、恐れ、悪魔の働きなどを超越し、それらをキリストの恵みの足下に置き、それらのはるか上にイエス様の権威がまさっていることを示すような、力強い満たされた生を歩むことです。
 それを大祭司であるイエス様は、天で私たちのためにとりなしをして助けてくださいます。イエス様に信頼して、すでに敗北した罪や悪を足下に置き、いのちを力強く喜んで歩む私たちの姿を、イエス様は期待をもって待っているのです。

📖エペソ人への手紙 1:19-23 口語訳
“19 また、神の力強い活動によって働く力が、わたしたち信じる者にとっていかに絶大なものであるかを、あなたがたが知るに至るように、と祈っている。 20神はその力をキリストのうちに働かせて、彼を死人の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右に座せしめ、 21 彼を、すべての支配、権威、権力、権勢の上におき、また、この世ばかりでなくきたるべき世においても唱えられる、あらゆる名の上におかれたのである。 22 そして、万物をキリストの足の下に従わせ、彼を万物の上にかしらとして教会に与えられた。 23 この教会はキリストのからだであって、すべてのものを、すべてのもののうちに満たしているかたが、満ちみちているものに、ほかならない。”

(2021年9月4日配布のトラクトより) 
(ソース: アベル・ダミナ牧師著の書籍 “Life before the cross and Life after the cross”より)

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