2: 新約と旧約 :後編(Ja)
今日も2022年2月19日のパワーシティ教会の礼拝メッセージを翻訳・要約しお伝えします。
この紙は後編です。 前編では、旧約=古い・初めの契約は、「誤りを見つける」=人の罪を探す、誰もその罰から逃れられない契約であり、 いっぽう新しい・完全な契約であるイエス様の血による新約は、人のすべての罪に対する神様のさばきが、イエス様の上に降りかかり、私たちがその恵みを受けた契約だった、という内容でした。
後編ではモーセの時代の、その古い契約よりさらに前にいたアブラハムの例を考察してみます。
●旧約である最初の契約は、出エジプト記12章でイスラエルの人々に与えられたものでした。さて、ということは、創世記には旧約がなかったということです。
旧約である最初の契約が結ばれたとき、アブラハムとその他のそれ以前の人々はそこにいなかったのです。そして今は新しい契約の到来によって、最初の契約は古い契約として退けられました。
では、もし創世記に最初の契約、旧約がなかったとしたら、どのような条件で神様と関係を持ったのでしょう。
●さてよく聞いてください。実は神様は二つの契約を持っていません。少し注意深く聞く準備をしてください。神様はただひとつの契約を持っています。神様は二重の性質を持っておられません。神様は一貫して、昨日も今日も、永遠に同じです(ヘブル13:8)。
神様はただ一つの契約しか持っていません。そしてその契約は、時の始まる前から時の終わりまで続いているのです。ですから、もし二つの契約があるならば、一つは神様からのもので、もう一つは人からのものであることになります。
神様はただひとつの契約しか持たず、それは神様のご性質を反映するものです。 そして、それはいかに神様が人間と関わるかの反映でもあります。
それでは神様はアブラハムにどのような契約を与えたのでしょうか?古い契約・初めの契約? あるいは新しい、より良い、永遠の契約でしょうか?アブラハムに与えたのは何だったのでしょうか。間違いなく新しい契約です。
アブラハムは新しい契約のもとで機能したのです。 新約は旧約に先立っていました。新約は旧約より古いのです。しかしあなたは、どうして新しいものが古いものより先にあるのか、と混乱するでしょう。どうして新しいものが旧約の前にあることができるのでしょうか?使徒パウロがどのように問題を明らかにするか見てみましょう。
📖ガラテヤ人への手紙 3:13-15 口語訳
“13 キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さった。聖書に、「木にかけられる者は、すべてのろわれる」と書いてある。 14 それは、アブラハムの受けた祝福が、イエス・キリストにあって異邦人に及ぶためであり、約束された御霊を、わたしたちが信仰によって受けるためである。15 兄弟たちよ。世のならわしを例にとって言おう。人間の遺言でさえ、いったん作成されたら、これを無効にしたり、これに付け加えたりすることは、だれにもできない。”
見ましたか? 「人間の遺言(契約=英語でテスタメント)でさえ、いったん作成されたら、これを無効にしたり、これに付け加えたりすることは、だれにもできない。」
約束された御霊(英語表現では「約束の御霊」)は、原文では「約束は御霊」と言う表現であり、「私たちが約束を受け取ることができる、それは御霊」という意味になります。それは養子となる御霊、子として頂く御霊です。
私たちは約束の成就として、子として頂く霊を受けました。誰に対する約束でしょう?アブラハムです。 アブラハムとの約束は、律法によるものではなく、神様が約束を果たすことを前提とした約束であり、どんな約束かというと、御子の霊が人に宿るという約束でした。
📖ガラテヤ人への手紙 3:16-18 口語訳
“16 さて、約束は、アブラハムと彼の子孫とに対してなされたのである。それは、多数をさして「子孫たちとに」と言 わずに、ひとりをさして「あなたの子孫とに」と言っている。これは、キリストのことである。 17 わたしの言う意味は、こうである。神によってあらかじめ立てられた契約が、四百三十年の後にできた律法によって破棄されて、その約束がむなしくなるようなことはない。18 もし相続が、律法に基いてなされるとすれば、もはや約束に基いたものではない。ところが事実、神は約束によって、相続の恵みをアブラハムに賜わったのである。”
つまり、その約束は、たった一人の人間に、キリスト・イエスに対してなされたのです。ですから、その約束はアブラハムのためになされたのではなく、むしろイエス様に対してなされ、約束された恵みの知らせとして、アブラハムに語られたのです。
📖ガラテヤ人への手紙 3:8 口語訳
“8 聖書は、神が異邦人を信仰によって義とされることを、あらかじめ知って、アブラハムに、「あなたによって、すべての国民は祝福されるであろう」との良い知らせを、予告したのである。”
彼はそれを「約束は御霊(14節)」と呼んでいます。それはアブラハムだけに約束されたものなのでしょうか? いいえ、すべての信者のためのものでした。
📖ガラテヤ人への手紙 3:29 口語訳
“29 もしキリストのものであるなら、あなたがたはアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのである。”
●律法の下での人々の行為・おこないは、キリストの復活という神様の約束を取り消すことはできません。パウロはアブラハムに対する神の約束を、「あらかじめ立てられた契約(17節)」と呼んでいます。
だから、律法の前に契約があり、その契約はキリストにありました。だから大事な問題は、古いものと新しいもの、どちらが先に来たのかということです。新約です! つまり、新しいものは古いものよりも古いということです。
その意味は、新約の430年後に、 旧約は新約を一時中断し、しかし「初めの契約」と呼ばれているので、たしかに最初の契約あるいは古い契約なのです。なぜならその契約(旧約)が機能したときに、アブラハムに作用したものはまだ「約束」の段階だったからです。
●まだ完全な契約にはなっていなかったのです。契約とは、二者間または三者間の誓約、合意のことです。一人が一方的に契約を結ぶことはできません。 だから、神様はアブラハムとの契約を結ぶことができなかったのです。
アブラハムは神様との契約を結ぶには不適格です。アブラハムは死すべき存在です。神様は不死です。アブラハムは誤りを犯しやすく、神様は無謬(むびゅう=いっさい誤りの無い)です。だから、神様とアブラハムは契約を結ぶことができません。
そこで神様はどうされたかというと、アブラハムと「約束」をして、それから神様は神様の外を歩かれました。そして神様は神様に目を向け、そして神様は神様に、主は私の主に言われ(詩篇110:1)ました。
つまり、地上の神様と天上の神様、二つのご性質となり、人間のために行動するようになり、人間のために負債を負って死んだのです。だから「神である神様」と、「人の子である神様」となりました。
神様と神様の間にあって、人の子である神様は人間の代表です。ですから、神様と神様との間の契約は、お二方の不変のご性質によって、不変のものなのです。
キリストの中の神様は誤ることができません。そして、神性における神様(父なる神様)も決して過ちを犯すことはありません。ですから、契約は2人の無謬(むびゅう)のお方によって結ばれているので、契約は完全で破られないのです。
●キリストから来た人、キリストについてきた人は、契約締結の当事者ではありません。彼らは受益者(受け取り手) なのです。ですから、今キリスト・イエスにあって、イエス様と父なる神様との間で合意された契約において、私たちはただ受け取り、感謝し、楽しむためにここにいるのです。
契約は私の道徳や完璧さを前提としたものではなく、神様、そして人となった神=イエス様を前提としたものだからです。
さて、契約は神様と神様との間に結ばれたわけですが、つまり人間は神様との契約の相手にはならないのです。 だから、「初めの・古い契約、旧約」という用語は、モーセの契約を説明するものです。
モーセたちがエジプトを去った後、イスラエルに与えた契約、それがモーセの契約、人による契約です。すなわち、契約の「新しい」「古い」という用語・言葉は、新が旧の後に来たという意味ではなく、「古い」という言葉が、前のものはもう廃れた、旧式の、使われなくなった、ということを、「新しい」が真の、完全の、永遠の、ということを示すために使われたのです。 だから、ヘブル書の著者は、律法をシャドウ、影と呼んでいるのです。
📖ヘブル人への手紙 10:1 口語訳
“1 いったい、律法はきたるべき良いことの影をやどすにすぎず、そのものの真のかたちをそなえているものではないから、年ごとに引きつづきささげられる同じようないけにえによっても、みまえに近づいて来る者たちを、全うすることはできないのである。”
そう、それは実体である「キリストにある新しい契約」の影であり、罪のために追加されたのです(ガラテヤ3:19)。 それは神様の計画ではありませんでした。
昔から神様の計画は新約であり、神様は矛盾した二重の基準を使うことはないのです。 神様は旧約の時代においてさえ新しい契約=新約を運用し、新約で今日まで貫いてきたのです。
ですから、イエス様は約束を果たし、新約を執行するために来られたのです。 「神はわたしたちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされたのである。それは、文字に仕える者ではなく、霊に仕える者である。」(コリント人への第二の手紙3:6) ハレルヤ。
つまり、新約は旧約の前に、約束としてあったのです。そして私たちは新約の結果、神様の家族、 神様の子としていただいたのです。 主をほめたたえます。
📖ローマ人への手紙 8:1-4 口語訳
“1 こういうわけで、今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない。2 なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、罪と死との法則からあなたを解放したからである。3 律法が肉により無力になっているためになし得なかった事を、神はなし遂げて下さった。すなわち、御子を、 罪の肉の様で罪のためにつかわし、肉において罪を罰せられたのである。4 これは律法の要求が、肉によらず霊によって歩くわたしたちにおいて、満たされるためである。”
(2022年4月2日配付のトラクトより)