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藤岡康太というジョッキーがいた。

競馬を見るようになってすぐの頃は、同じ苗字の似た年頃のジョッキーが多すぎて何がなんだか分からなかった。藤岡兄弟のこともしばらくユウスケとコウスケだと勘違いしてた。マカヒキの方はユウスケ?コウスケ?って聞いて笑われたことがある。名前は間違ってたけど、マカヒキを復活させたことは知ってた。

ある時risyっていう騎手のマネジメント会社のSNSアカウントにたどり着いたことがあって、藤岡兄弟はじめいろんなジョッキーが所属?してるんだけど、それまでは康太くんと呼んでいたのが“こーてぃー”と呼ぶようになった。オフィシャルな呼び名なのかは分からないけど、なんかイメージにぴったりハマるような気がした。ちなみにrisy由来?のおもしろニックネームはまだあって、西村淳也騎手を”あちち“、川須栄彦騎手を”ぱるる“と呼んでいる。

ではここからは佑介さん・こーてぃーと普段の呼び方で。


競馬見始めてしばらくは実況の人が名前を言うまで誰だか分からなかったけど、少しずつ追い方やレギンスの色なんかでレース中でも区別のつく人が出てきた中で、こーてぃーは結構見つけられる率が高かった。169cmとジョッキーとしては背が高めで手足が長いから、他のジョッキーと比べて前傾姿勢とった時の「つ」が大きい感じとか、入線してから立ち上がった時の背の高さとかであれがこーてぃーだ、今こーてぃーが勝ったんだ、って分かるようになってきてた。あとは顔のパーツが大きめだから、1位入選で笑顔になるとゴーグルしてたとしても分かりやすかった。

藤岡兄弟って面白くてさ、正直顔全然違うじゃん?佑介さんは平安貴族みたいな薄めの顔立ちで、こーてぃーは目きゅるるん!鼻しゃっきーん!口ぱっかーん!みたいなはっきりした顔立ち。お父様(健一調教師)を介したとしてもあんまり似てないなぁって私は思ってたんだけど。喋り方めっちゃそっくりじゃない?!佑介さんの札幌記念のインタビュー見てからこーてぃーの京都大賞典のインタビュー見たら声の高さも全然違うのに喋り方一緒すぎて椅子から転げ落ちたわ。
あとまさかのG1勝利数、勝ったG1も一緒!二人ともNHKマイルCだけ(後述しますが、23年11月にこの状況が打破される)。どこで兄弟してるんやと思ってた。


恐らくこーてぃーにとって間違いなく転機の一つであったろうレースの話をしよう。

23年のマイルCS。ナミュールに騎乗予定だった短期免許で来日してたR.ムーア騎手が落馬負傷で乗り替わりになってしまった。

ナミュールもなかなか運のない馬で…と今は書いておくけど、将来変わってるかもしれないね。桜花賞頃までは出遅れ連発、好走できた時も他に1頭強いのがいる、VM・安田記念の連続出走に連続不利。富士Sは勝ってマイルCSに来たけど、好きな馬なんだけど牡牝混合のG1では厳しいかな…という気持ちが強かった。それでも好きを貫いて単勝握ってたんだけど。

そんなナミュールに当日乗り替わりという新たな試練が。ここで抜擢されたのがこーてぃーだったのだけど、まぁー露骨に単勝オッズが上がっていった。悔しかったね。もちろん乗り替わり前が世界的名手ってのもあっただろうけど、「もっと他にいなかったんか?」って空気が。私はこーてぃー上手いと思ってたし、好きだったし、単勝買ったこと1ミリも後悔してなかった。

レースは位置取りが後ろめになっちゃったんだけど、最終直線で他の有力馬がなかなか来ない中目が覚めるようなスピードで飛んできて、そのままゴール前差し切ってしまった。「こーーーてぃーーー!」って思わず叫んでしまった。ナミュールがやっとG1勝ったことも嬉しかったし、それまでの負の空気感を騎乗で断ち切ったこーてぃーが本当にカッコよくて、何度見返しても泣きそうになる名レース。ちなみに、当日騎乗変更になった完全テン乗りの騎手がG1を勝つのは史上初だったらしい。

そしてまたエピローグ的なのもよくてさ、久しぶりにG1勝った日も「子どもをお風呂に入れないと」って言って帰っていくのよ。もう、すべてが100点満点でした。

このレースで世界が少しずつ変わっていって、通算800勝も達成したり今年もいいペースで勝利を重ねていた。
その勢いは佑介さんにも波及して、佑介さんもペプチドナイルでフェブラリーSを制覇。チューリップ賞もセキトバイーストで2着し優先出走権確保、フィリーズレビューはエトヴプレで勝利。佑介さんはどっちが乗るんだ、もう片方は誰が乗るんだってなってたところ、佑介さんはセキトバイーストでエトヴプレはこーてぃーになって、兄弟でG1かーとなんかほっこりしたり。
G1勝ち数・勝ち鞍も一緒の似たもの兄弟は、いい意味でそれぞれの道を歩み始めたところだった。


当日は福島にいてレース映像は見ていなくて、断片的な情報しか入ってこなかった。それは週が明けても同じで、この時点で最悪の事態を想定していた。
だから正直、佑介さんが水曜に取材対応してくれて、少し安心しちゃったところがあった。まだ命は繋がってる、きっと戻って来れるんだって。この機会にと読み返してみたwith佑(佑介さんのnetkeibaコラム)の兄弟対談も、
 佑)康太は調子いい時に怪我しがちだよな。
 康)あの時も1週間意識がなくて心配かけた
みたいな話をしてる箇所があって、きっと今回のこともこんな風に懐古できる日が来ると信じてた。


 「藤岡康太騎手、死去。」


膝から崩れ落ちるような衝撃。日常生活をしててもふと襲ってくる、こーてぃーがもうこの世にいないという事実。私がこんなに悲しんでいいのか分からないくらい、泣いて、泣いて、泣いた。

ずるいよ、みんな。死んじゃってからこーてぃーの良いところいっぱい教えてくれるんだもん。こーてぃー好きだったけど、もっと前に教えてくれたら、もっともっと好きでいられたかもしれないのに。でも、もっともっと好きだったとしたら、お別れはもっと悲しかっただろうな。


献花台のたくさんのお花でファンの方々の愛を感じて、目の前に立った瞬間ずしーんと実感が湧いて、丸ちゃんのコメントや浜中さん・豊さんの弔辞を読んで、息子に先立たれた藤岡先生・遺された奥さんや子どもさんに思いを馳せて、ずっと泣いてばかりの日々だった。
皐月賞のジャスティンミラノが一番話題だけど、こーてぃーが調教つけたり継続騎乗してきた馬が好走したりすることが本当に多くて、そのたびに嬉しさに似た誇らしさと、同じくらいの悲しさを覚える。


佑介さんの気丈さも心に刺さるものがある。亡くなる前後の取材対応、黙祷後の取材対応、様々求められる場でのコメント…。
私は佑介さんも好きだし、折り合いの技術に定評がある(通称:with佑騎乗)のも分かってるつもりなんだけど、自分の心にも上手に折り合いつけてしまう人なんだ…って。きっと佑介さんが周囲に寄り添ってきた分、佑介さんを支えてくれる人もたくさんいると思うから私が気を揉む必要なんてないんだろうけど、それでもちょっと心配になってしまう。


ただのとりとめない感想文になってしまったけど、佑介さん始めとするジョッキー・ホースマンの方々、何よりこーてぃーが望むように、これからも人馬を尊ぶ気持ちを忘れずに競馬を楽しんでいきたい。悲しんでばかりではなくて、今現場で命をかけている人たちをしっかり応援したい。


でも、今心にあいている大きな穴はこーてぃーが騎手として輝いていた証だと思うし、このままでもいいのかなって気がしている。


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