【リーダシップの旅編4:企業トップは勘違いしている?】
*本マガジンのこれまでの投稿は上記に入れています。
40代で、ある大企業の関連子会社の社長である健は、就任2年目を迎えています。1年目の業績は振るわず、戦略構築・マネジメントでも試行錯誤しているところのようです。そんな時、本社で取締役で元上司の哲也にたまたま出会います。健が現状の悩みを相談しているうちに、”リーダーシップの旅”を紹介されます。この本についてオンライン勉強会をする流れになり勉強会を開いています。本日は第2章「なぜリーダーシップが必要なのか」1回目の解説になります。
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🧒;おはようございます。
👨🦳;おはよう。今日から第二章の「なぜリーダーシップが必要なのか」について解説していこう。今回は前半だ。
🧒;お願いします。
👨🦳;早速質問。君はなぜ、社長についていく?社長は、君にとって、リーダーですか、それともマネジャー?
🧒;え?え?
👨🦳;ははは、じゃあ、リーダーシップとマネジメントはどう違うと思う。部下に効かれたらどう説明する?
🧒;そんな詰めないでくださいよ。勉強会なんですから。。
👨🦳;そりゃそうだ。でも、今なぜ、多くの組織や社会において、リーダーシップが求められているのかね。俺もそうなんだけど、組織の中でリーダーシップを発揮するにあたって、必要となるものは何んだろう。この辺りを考えていこう。
🧒;なるほど、それが本章の導入ということですね。
◆なぜ、部下は社長や上司についてくるのか
👨🦳;著者の一人の野田さんは時々うなされる悪夢があるそうだ。野田さんのリーダーシップ塾はNPO法人として活動しているそうで、NPOはノン・プロフィット(非営利)に特段の意味があるのではなく、理念や志を同じくする、個々人のボランティアによる協働に、よりその本質がある。
🧒;要するに有志によるボランティアとしての運営になっているわけですね。大変だ。。
👨🦳;だから、必ずしもあてにできなく、毎回何人が参加してくれるか、正直なところ気が気でないという。
🧒;でもきっと野田さんだけでなく、何か始めようとした際にどれだけの人がサポートしてくれるか、例えばイベントを開いたら何人来てくれるかは不安になるものですよね。
👨🦳;でも、例えば企業の社長はどうだい?社長に悩みがないなどと言っているわけではないが、彼(女)らの多くは、とりわけ大企業のトップであれば、部下や職員たちが、明日もオフィスに出勤してくれるだろうか、自分についてくるだろうかと不安に襲われたりすることは比較的少ないよな。
🧒;ええ、だれかは急病などで休むかもしれませんが組織全体としてその心配をすることはないです。
👨🦳;でも、なぜ皆オフィスに来るのであろう?バイトでもそうだ。そして、上司の指示はきちんと守るし、社長のお呼びがかかれば、途中で仕事を放り出してでも駆けつける。必ずしも納得できない指示や、雇用契約の根幹に属さない指示にでも結構従ってしまうように映る。一体なぜだろう。
🧒;かなり従順ですよね。
👨🦳;そう、従順なんだよ。話が少しずれてしまうかもしれないが、この従順さは、近代以降の教育の普及と関係があるのかもしれない。教育を受けた私たちの姿勢や態度は、ヒエラルキー、つまり序列化された秩序がある組織におけるリーダーシップの存在を、非常に分かりにくくさせているんだ。人々はあまりに従順か、それとも従順を装うのが巧みなため、何が理由で組織の長に従っているのかが見えづらいってことさ。
◆トップの落とし穴
🧒;ちょっと強引に言っちゃうと、部下は、組織の中でトップと呼ばれる人に「喜んで」「自発的に」ついてきているのでは必ずしもないってことですよね。その証拠に、辞める日までは毎日出勤して、あれほど従順に指示に従っていたのに、辞めた日を境に、多くの場合、二度とオフィスに現れないですからね。それち社員たちが昼休み、あるいは仕事帰りにトップの悪口を言って憂さ晴らしをするのは、「人」に「喜んで」ついてきていない何よりの証拠かもしれないですね。
👨🦳;そう。この点は、NPOや政治家の活動であっても、基本的には同じことだ。野田さん自身も事務局で十数名のスタッフを抱えているが、全員が出勤しないという悪夢は、立ち上げの苦しい時期を過ぎてからはあまりないそうだ。つまりさ、一般的な会社や組織において、部下がトップについていくのは、トップがリーダーシップを発揮した結果によってではなく、ヒエラルキーによってなんだ。勘違いをしてはいけない。共同体・コミュニティとして機能してきた戦後の日本企業では、雇用する側とされる側の契約という意識が概して曖昧だが、それでも社員は、会社があってこそ給与が支払われ、日々の生活が成り立つのだと認識している。
🧒;そうですよね。部下たちが自発的についていっている会社も当然あるでしょうが、「社長=リーダー」というわけでは決してないということですね。
👨🦳;そう。ところで、日本で企業や組織のトップに「リーダーシップとは?」と尋ねると、「リーダーはフォロワーを束ね、ベクトルを合わせて、求められる方向に導く」といった答えがしばしば返ってくるそうだ。そうだとすると、リーダーシップとマネジメントの混同を感じてしまうんだ。
🧒;なるほど。ヒエラルキーの中では、リーダーシップではなくマネジメントが日常的に機能しますからね。マネジメントは、目標達成や問題解決のために手順を組み、人員を配置し、進捗を監督することと言えます。管理ですからね。上位に位置する人が下位に位置する人を権限で統率し、組織を統制していくことだともいます。
👨🦳;そうそう。日本のトップには、組織のヒエラルキーを上り詰め、トップになったあとで初めてリーダーシップについて考える人が多いんだが、その際には、ポジション上、率いるべき部下たちを初めから与えられている。だからフォロワーの存在を前提としてリーダーシップを論じがちなんだ。マネジメントの頂点に立つトップにとっては部下は部下であって、決して「喜んで」ついてくるフォロワーではないってことさ。
🧒;ただ、トップにはポジションや権威を用いて組織を円滑に動かすことも必要ですよね。また、エマージェント・リーダーシップに焦点を当て、旅のプロセスからリーダーシップをとらえてみても、旅の後半のリード・ザ・ピープル以降の段階においては、人を束ね、進むべきベクトルを決め、率いることが大切となってきますよね。結局わけれないというか。
👨🦳;まあね。でも、くどいようだけど、そこばかりに目を向けると、「見えないもの」を見て、人を巻き込んで、自発的に動いてもらうという、とても大事なリーダーシップの本質、旅における前半のプロセスを見落としてしまうのよ。決してマネジメントを軽視しているわけではない。ただ、権限を伴うポジションにある人間がリーダーシップを語る時、そこには危険な落とし穴があることだけは最低限認識しておくべきだと思うってこと。
🧒;なるほど。
◆フォロワーの視点でリーダーシップを見る
👨🦳;リーダーシップに限らず、およそ支配、権限などの影響力にかかわる社会現象は、指導者、支配者、権限保持者の側ではなく、フォロワーの側の視点こそが重要だと指摘した先人が存在するんだ。
🧒;フォロワー側の視点・・。やっぱりそうなのか。本当にそう思います。先人気になる・・。
👨🦳;まず、大御所では、かのマックス・ヴェーバーが支配の社会学において、支配される側の心の状態から支配という現象をとらえるのがいいという考え方を提示したんだ。
🧒;なんだか難しい。要するに受け手側(支配される側)からの視点で現象をとらえて方がいいということですね。
👨🦳;そう。どんな支配もすべて支配される側が何を正統、正当だと思うかにかかっている。ということ。
👨🦳;世襲を皆が認めてくれるところがあるから、ある時代、ある地域の当該社会で世襲による支配が続くんだ。同様に、近代になって、情実をルールによって排除するような支配のあり方に対して、支配される側がもっともだと思うことがなければ、昨今ではすっかり悪者扱いの官僚制も広まらなかったはずだ。
🧒;そうか、これに対し安定した業務におけるルーティン業務では、多少規則にうるさくても官僚制でうまくいくと、支配される側が納得する。だからこそ、ある時代、ある場面で、官僚制が合理的な支配形態として西欧を中心に広まったというわけですね。
👨🦳;要するに、伝統が大事なら世襲、ルーティンの処理が肝心なら官僚制、奇跡に期待するならカリスマということになるが、いずれの場合にも支配される側のメンタリティが問われる点に注目しているのよ。ヴェーバーの支配の社会学は、被支配者視点の支配論なんだわ。ここでは割愛するが同様に、経営学の中でも、自ら経営者でもあったC・I・バーナードや、その影響を受けつつ意思決定の組織論を構築したノーベル賞受賞者H・A・サイモンは、権限受容説 (acceptance theory ofauthority)という考え方を主張したんだ。
🧒;なるほど。やはり、昔から議論されていた点なのですね。
👨🦳;野田さんと金井さんはこの本の中で、権限で人を動かすマネジメントと、影響力の一形態としてのリーダーシップは違うということを強調しているが、リーダーシップだけでなく、管理を成り立たせる権限についても、フォロワーやメンバーが喜んでそれについていくかどうかが問われるんだ。
🧒;確かに、いずれにしても、人がだれかに従うという現象を見るのだから、フォロワー視点はたいへん大切なはずだですよね。
👨🦳;そうなるとさ、リーダーシップは一体どこにあるのか。リーダーの側か、フォロワーの側か。両者の間か。フォロワー視点のこれらの学説を踏まえれば、大半のフォロワーが「この人だったらついていってもいい」と思うから潜在的なリーダーにリーダーシップが帰属されるわけ。だとすれば、リーダーシップは実はフォロワーの頭の中にあると言えないこともない。
🧒;フォロワーが頭の中で、「自分たちがうまくいっているのはこの人のおかげだ」と思う理由、最初の契機は、ほかならぬリーダーの発想や行動にあるわけですよね。そうした帰属の原点をフォロワーが見て、リーダーにリーダーシップを帰属していくとしたら、リーダーシップという社会現象は、リーダーとフォロワーの間の相互作用の中に存在するというのが一番適切かもしれないですね。
👨🦳;その通り。おっと、今日はもうこんな時間だ。今日は、組織のトップの落とし穴、リーダーシップとマネジメント混同について話してきた。次回は、どのようにリーダーシップとマネジメントが違うのかもう少し詳しく解説していく。2章の続きだ。
🧒;ありがとうございます。よろしくお願いいたします。
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本日は第二章の前半を解説しました。私もこれを読んでハッとしました。3年前タイに来た時にリーダーシップとマネジメントの混同を起こしていた気がします。権限があるから、経験があるから日本人だから話を聞いてくれる。そんなことはあるはずないんですよね。所詮マネジメントでは人はついてきてくれない。何か変えようと覆ったときに、変化は起こせない。つくづく思います。。。今も絶賛修行中ですが。
次回は2章の続きになります。(2章長いの3回に分かれそうです・・)引き続きお付き合いいただければ幸いです。
*なお、下記の固定記事に私のnoteの全体コンセプトを記載しています。
これまでの複数マガジン(書籍解説)を作成してきましたが、一覧と位置づけは下記です。(一つでも興味がおありでしたら、上記【導入編】のリンクを載せているので覗いてみていただければ嬉しいです。)
番外編もあります。
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